鬼女のつぶやき〜2ch鬼女・キチママ・生活まとめ〜

主に2ちゃんねるの鬼女関連のスレッドをまとめています。修羅場、恋愛・結婚、育児関連の記事が多めです。

    祖母

    683 :名無しさん@おーぷん 2016/03/31(木) 09:00:28 ID:XS5
    書き込んだ後に、黒い過去、ってより、単に人には言えないことなだけだよな
    スレ違いだとてくよくよ考えてたら、思い出した過去。

    忘れてたくらいなので、まったく後悔はしてないんだけども
    父方祖母に大けがさせた。

    当時、父方祖父母と同居だったんだけど、お約束のクソトメだった。
    が、父はもちろん母もエネミーで、ハイハイ従っていた。
    調子こいた祖母は、やや体が不自由になり、ボケがはじまり介護が必要になっても
    傲慢に振舞っていた。
    母は疲労困憊しながら自宅で祖母の面倒を見ていて、当時学生だった私は
    とても腹が立っていた。
    なので、母のいない隙に祖母をいびり倒してた。
    積極的に、おばあちゃんは見ておくから買い物に行ってきなよ、とか言って
    家に2人きりになる時間を作ってた。
    その隙に、うんこ臭い、頭がパー、地獄に落ちる、とかいろいろ祖母の嫌がることを
    延々言い続けた。
    もちろん、父母や通いのヘルパー、近所の人に言いつけられたが、
    祖母のもともと物事を大げさに言う性格と、痴呆で妄想が出ていたこと
    私の外面のよさ、まだ子供だったことで、
    祖母と孫で喧嘩して仲がいいのねwという扱いだった。
    ある日、カッとなった祖母が殴る真似をしてきたので、腹がたって突き飛ばしたら
    転落してしまった。うずくまって動かないので、困って救急車を呼んだ。
    「大きな音がして見に行ったらおばあちゃんが倒れてた」と言った。
    打ち所が悪くて、あちこち骨折していたけど、年寄だったし一人で転んで
    変な倒れ方をしたからだ、と医者が言ってみんな納得した。
    祖母は、孫が、孫が、とだけ繰り返したけど、看護師さんはじめみんなに
    お孫さんがいて良かったねぇ、と言われるばかりで、正直、ざまぁwと思ってた。
    それがきっかけで、祖母は入院して、その後、病院から直で施設に入り二度と家には戻ってこなかった。
    良かったなぁ、と思ってる。けど、さすがに人には言えないw

    283 :名無しさん@HOME 2017/11/24(金) 21:30:52 ID:r10szS2vh
    厳密には修羅場とは違うかもしれないけど、
    さっき行った店で「トイレの神様」が流れてるの聞いてわーっとフラッシュバックして誰か知らない人に聞いてもらいたいから
    あの歌の歌詞と同じように実家と敷地内の小さな離れで、私は祖母と暮らしていた
    母屋には親と妹弟が住んでた。お風呂は母屋にあって、離れには和式トイレと小さな台所と畳の部屋が2つ
    その頃は特におかしいとは思わなかった、祖母はとても可愛がって育ててくれた、あの歌みたいに
    大きくなって母に聞いても「下が性別の違う双子で育てるのが大変だったから、あんたの世話をお婆ちゃんに頼んだ」と説明されて納得してた
    でもそれは半分嘘だった
    あと、祖母は父の母だとなんとなく思っていたが、母の母だった
    聞かなきゃ実の母子だと感じないくらい淡々と他人行儀だったんだ

    祖母がタヒぬ前に少しボケてて、私のことを「自分の子」て言った
    心に引っかかったまま誰にも言わなかったまま祖母は他界、私は県外へ就職した
    実家の親とはなんとなく疎遠になってて父が危篤だと呼ばれて久方ぶりに地元に戻った
    父はなくなって、お通夜で聞いた話で謎は全て解けたがとんだ羅刹の家だった

    祖母は早くに夫をなくして女手一つで一人娘の母を育てた
    祖母の年下の恋人を母が寝取った、それで出来たのが私
    デキ婚の責任を取って父と母は結婚したけど祖母と父の関係を疑って妊娠中の母が精神を病んだらしい
    出産して帰ってきても自分の産んだ子だと認めないで、祖母の子だと言い張る
    近所の好奇の目もあるので引っ越して今の家に住んだんだそう

    私と祖母が目の前から消えたので母は快方に向かい、妹弟(双子)が生まれて完全に治った
    でも私を戻す勇気も踏ん切りもつかないまま、祖母が可愛がるから任せていたと

    後年はボケが始まって祖母も少し心を病んでいたのか私を父と自分の間の子だと思いこんでたらしい

    母が何でぶちまけたかというと父が亡くなって身の回り品を片付けていたら祖母の写真と遺骨のかけらがあったんだそう
    写真の裏に「棺に入れてほしい。ごめんなさい」と書いてあったそう
    「絶対一緒に入れるもんかと思って病院の給湯室のゴミ箱にちぎって捨てた」と母が言う

    母とも祖母とも関わりを絶ちたくて、全て弟妹に任せてそれきり地元に帰ってない
    付き合ってる人もいるけど結婚は実家に挨拶とかイヤなので考えてもない

    923 :名無しさん@HOME 2012/03/13(火) 11:45:33 0
    自分が実家から離れて東京の大学に行ってた頃の話。
    夜の11時に母から電話があって、「妹が壊れたよww」とハイテンションな
    電話がかかってきた。数時間前、その当時家で母と妹に介護されていた祖母が風呂に入って
    いて、浴槽の中で立ち上がれなくなってしまったらしく、母と妹で抱えだそう
    としたができず、父に加勢を求めたが「自分の母親のネ果を見たくない」と拒否。
    バスローブを着せても拒否され、とうとう近所の親戚の方を呼んでなんとか抱えだした。
    父は親戚にヘラヘラ礼を言って早々に奥に引っ込んだ。と見せかけて出かけてた(飲みに行った。)
    あきれ返って母が脱力していると妹が米袋をもって目の前を通っていった。
    すぐゴンゴン音が聞こえていってみると、父の部屋でテーブルに米袋を置いて
    上からハンマーでたたいていた。瀬戸物のコレクションが入っている飾り棚は戸が全開。
    おばあちゃん寝てるから静かにね。と声をかけ、そして私に電話が来た。
    深夜ほろ酔いで帰ってきた父は、部屋から戻ると階段に座ってうなだれていたそうです。
    母曰くこのことがあって、ようやく祖母を施設に入れる決心がついた。らしい
    祖母の3回忌なのでカキコ

    146 :名無しさん@おーぷん 2015/09/24(木) 15:31:25 ID:Nfd
    話切ってしまって大丈夫かな?
    敬老の日にちょっとしんみりしたこと。

    大正生まれの祖母は、昔気質の祖父と二人で働き詰めの人生で
    出かけたり遊んだりということがほとんどなかったんだけど、
    祖父が亡くなったあと、地元のお寺がお年寄りを集めて
    御詠歌歌ったり食事したり体操したりという、デイサービスのはしりの
    ような事業を始め、そこに通うようになって、友達も増え、
    日曜とかにもおばあさんたちで出かけたりするようになった。

    午前中にミニハイキングやお寺の奉仕活動で体を動かし、
    昼食をとりお茶飲んで駄弁って帰るということが多く、
    祖母はそれまでほとんど経験のなかったランチや喫茶店に
    すっかりはまってしまった。

    でも、ひとりで行くのは気恥しかったのか、よく私が誘われて
    一緒に行った。たぶん「孫にせがまれて来ている」風にしたかったんだろう。

    ちょうどその時期に私の地元も開発が進み、チェーン店のお店が
    進出してき初めた時期だった。目新しい店ができると、おばあさんたちで
    行ってみたりしたらしい。
    でも、横文字が苦手な祖母は、新しいお店の名前を覚えられず、独自解釈していた。

    189 :おさかなくわえた名無しさん 2009/08/05(水) 11:51:06 ID:MeMrsFVI
    祖母のお葬式の時、
    棺桶で寝ている祖母に花を手向けようと、棺桶の足元から近づいた瞬間、
    手前2メートルくらいでつまづき、足がもつれたまま体勢を整える事が出来ず、棺桶の上に倒れ込みそうになった。
    とっさに祖母に手を突くのだけは避けようと、手を広げて棺桶の両横板の上に片手ずつつき、
    ちょうど祖母の上で腕立て伏せをするような体勢に。
    その瞬間、ベリメリッという音とともに横板が両方とも、バラけてしまったではないですか。
    もう家族・葬式業者ともども大慌てで、葬式まで時間がないから新しい箱は用意できず、
    「とりあえずガムテープ用意しろ」
    「ガムテープはないだろ、釘は無いのか」
    「金属は焼いた時残るので困ります」
    「ロープで縛れ」
    「見た目がガムテープより悪いだろ」
    「どうせすぐ焼くし」
    「花で隠せ」
    などと慌てふためく中、なるべく邪魔にならないように端っこで土下座してました。
    結局、棺桶は裏側からガムテープで止め、式の間、寄り添う風に見せかけ支え、運ぶ際は家族が必タヒの形相で抑え合い、なんとか無事に終了。
    息の合った家族の連携プレーに、きっとお婆ちゃんも喜んでると思う。
    いや本当にごめんなさい。

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