鬼女のつぶやき〜2ch鬼女・キチママ・生活まとめ〜

主に2ちゃんねるの鬼女関連のスレッドをまとめています。修羅場、恋愛・結婚、育児関連の記事が多めです。

    復讐

    554 :名無しさん@おーぷん 2015/03/13(金) 21:57:08 ID:P9Q
    ちょっとした復讐。
    昔、たけしくんハイ!とかいう北野たけしの自叙伝があったよね。うちもあんな感じだった。
    酒を飲んでは暴れる父。
    暴れたらどうしようもないので、家族揃ってご飯茶碗持ったまま、母の実家や近所の親戚の家に逃げたりした。
    飲まなきゃいい父だよねと、親戚は慰めてくれたが、飲まない父なんかみたことないし
    祖母は腕の骨折ったり、母の首糸交めたり、私の身体にアザをつけたりする人は飲んでも飲まなくてもいい父ではないと思う。
    とはいえ、DV夫が外面がいいのは世間の理。うちの父も高学歴、高収入。母もなんも資格ないし、我慢するしかないと思ったんだろうな。
    殴られたり、無意味に説教されたりの日々は私が高校卒業まで続いた。

    自分に収入源がないから離婚も出来ない母をみて、私は看護学校へ進学した。寮に入って逃亡完了。
    寮生活はひどいもんだったが、殴られもしないし、酔っぱらいの話を何時間も聞かされない生活は極楽だった。
    一方母は、分散していた暴力を一身に受けて我慢ができなくなり家出してしまった。
    家出当初は父も謝ったりあれこれしていたが、意思の固い母に結局「こっちから離婚じゃあ!」と緑の紙を突きつけ、めでたく離婚した。
    その頃から祖母より「ご飯食べなくなったゃったのよ」と私に連絡がくるようになった。
    祖母はヒドイ父でも我が子なわけで、説得の末大嫌いな病院に連れていくことに成功した。
    診断はいわゆる「末期ガン」

    そんな末期ガンの父に抗がん剤、放射線治療を勧め「ガンに負けるな!」「ガンと戦え!!」と励まし、一年後に看護師となった私に見送られていきました。
    お酒で暴れる人は、大抵チキンで逃げ場が酒しかないんだと思う。父も例外なく、そのタイプ。昔、ガンだとしても告知をされたくないと言ってたので、しっかり告知をしてもらいました。

    それから月日がたち、看護師の経験を積み、自分の病状を知らないと言う方が不幸だなぁと感じるようになりましたが
    告知をされたくないとお願いした娘に「告知をすべきを医師に言ったのは私」と言われた父の顔は「復讐された!」っていう表情だったと思う。

    527 :名無しさん@おーぷん 2015/03/03(火) 10:33:03 ID:npX
    結果的に復讐を継続してできているんじゃないか、って進行形の話。
    よくある話だと思う。

    俺には8歳上の兄がいるんだが、幼い頃からひどく暴力を受けていた。
    自分が親父に叱られた腹いせはもちろん、俺に関係ないことでも、何か気にくわないことがあったら動けなくなるまで殴られ、蹴られた。
    顔が青アザだらけで学校で心配されることもあった。
    俺はずっと、ひとつ屋根の下で暮らす兄に怯えて暮らしていた。
    「兄弟のこと」と軽く思われるかもしれないが、逃げ場もなく徹底的にボコボコにされる恐怖と憎しみを想像して欲しい。
    親父は、兄が武器を持って殴ってきた時だけ兄を叱りつけたが、それ以外は兄弟喧嘩として扱われた。
    父母に恨みはないが、高圧的で俺をサンドバッグ&パシリにしていた兄が大嫌いだった。

    そんな兄は二度の結婚をし、2人目の奥さんとの間に2人の子どもがいる。女の子と男の子。
    40過ぎてできた子どもだから、兄はそれはそれは溺愛している。
    子ども達の為にタバコをやめ、ビールは第三のビールに変えて、ローンで家と車を買った。
    仕事を休んでまで習い事の送り迎えもしているらしい。
    溺愛はしているが、言うことを聞かなかったり失敗したりすると手をあげるのが気にかかった。
    「子どもを叩くのはやめなよ」と言うと「何だと!?」と俺が殴られた。

    一方俺はアラフォーになっても結婚できず、盆や正月に実家に集まると兄に
    「結婚できないなんてクズだ」
    「まぁお前にはムリだ」
    「子どもの顔を見せないなんて親不孝しやがって」
    とニヤニヤ言われ続けた。
    俺は、歯向かっても殴られるだけだと分かっているからスルーし続けた。

    520 :名無しさん@おーぷん 2015/02/28(土) 04:37:32 ID:eVS
    過疎ってるみたいだから書いてみるか
    タヒ人が出てるんで閲覧注意ってことで。


    小学校の頃、トイレに行ったってところからいじめが始まって、
    地元から逃れられなかった俺は高校卒業までいじめられてた。
    その頃には話はどんどんでかくなってて、トイレに行ったからいじめられてただけなのに
    ・あいつの顔が○○に似てる
    ・あいつはもともと病気だったから 
    ・あいつは隣国の出身だから
    とか色んな噂が生まれるようになってた。
    親は必タヒに俺をかばってくれたけど、多勢に無勢だったし地元の連中も田舎臭く、
    「いじめは悪いかもしれないけどそのおかげで地域がまとまってるんだから」
    と 俺 の 親 を なだめに来るババアがいたりしてどうしようもなかった

    ちなみに地元はとある企業の工場が立ってて、そこを中心に生活圏がある。
    同期の親もそこの工員や、工場周りのお店とかで働いてるのが多かった。
    つまり地元で生きていくとすると、そいつらとは一生離れられないってことだ。

    なので受験シーズンに
    「とにかく都会へ出ろ!田舎に留まってたら人間的にも狭いやつになる。都会で色んな人を見て来い。いろんな人生、社会を知ってでかい人間になってこい」
    と言われ、必タヒに勉強して東京の大学へ行った。

    東京での大学生活は楽しかったし地元のことなんかすっかり忘れてた。
    だって田舎のクソ共のことを考えるよりも楽しいことがたくさんあって、時間がもったいなかったから。
    同期で東京に出たのは俺しか居なかったのもあるけど。

    そして無事に就職も決定、幹部候補生として素晴らしい待遇で取ってもらえた。
    泣きながら両親へ電話したら、「えっ!?××!?」と驚かれる。
    そこで気づいた。俺の地元にあった工場が、その会社のものだったと。
    そうしたらもう、昔の嫌な記憶がフラッシュバックしてきて…気がついたら、復讐したくてたまらなくなっていた。

    359 :名無しさん@おーぷん 2015/01/16(金) 05:01:59 ID:Liq
    私ではなく母がやってくれた復讐話。

    小学生2年の頃、地域のバレークラブに入りました。
    活発で運動神経も良い方だったのでコーチにも気に入られ3年生に上がる頃には他の上級生を差し置いてレギュラーとなりました。
    しかし、そのことがきっかけで上級生数人からイジメを受けるようになりました。

    ・部員全員の前で下着をずり降ろされそのままズボンと下着をはぎとられる
    ・時にはそのまま捕まえられ電気アンマ
    ・真冬の雪が降っている日に外に練習着のまま放り出されて泣いて入れてと言ってもいれてもらえずそのまま家まで凍えながら30分かけて帰らされる
    ・練習中コートに一人立たされ腕が腫れ上がるまで何十分も上級生の強烈なアタックを受け続けさせられる
    などなど

    コーチがいる時は練習と称していじめられ、いない時はもっと過激なことをされました。
    母はイジメられていることはなんとなく気付いていたようですが、私はその頃負けん気が強くて絶対にイジメのことは母に言いませんでした。
    その後バレー部は上級生が卒業しようやく自由だと思った時部員がたりず廃部に。
    私は表面上は普段通り明るいけれど、あまり人を信用できなくなり家では母にベッタリのマザコンに。

    545 :本当にあった怖い名無し 2013/11/07(木) 01:01:21 ID:ryE7qJeL0
    彼氏だった男にした復讐の話書きます。
    長い事付き合ってた男なんだけど、私が仕事で忙しくしている間に婚約した。
    つーか、それブログで知った。あとからツイッターでも知った。ちなみに私はどっちも興味ないから見ないし登録とかしてない。
    は?ってなって、共通の友人に聞いたら知らなくて、二人して、は?ってなった。
    とりあえず私は号泣した。こっちも結婚する気だったし親にも挨拶してたしで、現実じゃないんじゃないかと泣いた。
    でも泣き止んだ頃には、何してやろっかな、って思った。つまり復讐しようって思った。
    これが2か月くらい前の話。私と協力するからと言ってくれた友人と色々調べまくった。
    とりあえずネット。男の本名ぐぐったら出てきたw結婚指輪オーダーしててその店のブログに写真付きだよ。
    つーか、そのポロシャツ私がプレゼントしたやつじゃねぇかw
    杀殳意湧いたよ。

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