小学生
図工の教師「家族というテーマで絵を描きなさい」祖父母との思い出を描いたら、教師「ふざけてるの!」絵を破ろうとしたので、私「やめてください!」→教室を追い出された私。結果…
597 :おさかなくわえた名無しさん@\(^o^)/ 2016/02/13(土) 13:45:42 ID:cwNBwXX2.net
「武」ではないが胸がスーッとした話。
キリスト教系の私立小学校で、当時としては珍しく中高と同じ教科担任制だったので、担任の先生に
教わるのは国語と社会だけで、算数、理科、体育、音楽、図工、聖書は別々の先生だった。
その中で、図工の先生の価値観の押しつけが激しくて、あるテーマで自由に絵を描くはずなのに
ちょっとでも自分の考えと違うとその場で画用紙を破られて、結局は皆ほとんど同じような絵を
描かされるような、無意味な授業だった。図工と音楽は、その道から専門家を講師として雇っていて
(私立はそういうことができるそうだ)、児童心理などはまったく無頓着な人のようだった。
ある日の授業で「家族」というテーマで自由に描けということになったが、相変わらず同じような
価値観の押し付けをしてきて、祖父母との思い出を描いていたら「何なのこの絵は!ふざけてるの!」と
破ろうとしたので「やめてください。祖父母との大切な思い出なんです」と初めて抵抗した。
その態度に先生は「あたしの授業に文句があるなら出て行きなさい!」と激怒し、私を教室を追い出した。
ちょうどそこに担任が通り掛かって事情を聞かれたのでこれまでのこともすべて話した。担任は図工の先生に
掛け合ったが「そんなふざけた絵を描いている子に教えるつもりはありません」などと息巻いていた。
担任の先生は「じゃあ、教室に戻ってその絵を完成させて、私のところに持って来なさい」と私を教室に戻した。
絵を描き上げて先生に持って行くと「この絵を先生に預けてくれる?」と言い、そのまま渡したら、先生はその絵を
県の美術コンクールに内緒で出展してくれた。結果は金賞、全国コンクールにも出品されて、そこでも金賞を獲った。
後日、そのことが朝の礼拝で発表され、壇上で表彰されて拍手喝采を浴びた。その件が関係するのかはわからないけど、
図工の先生は翌年は別の先生に替わっていて、楽しみの授業へと変わった。
キリスト教系の私立小学校で、当時としては珍しく中高と同じ教科担任制だったので、担任の先生に
教わるのは国語と社会だけで、算数、理科、体育、音楽、図工、聖書は別々の先生だった。
その中で、図工の先生の価値観の押しつけが激しくて、あるテーマで自由に絵を描くはずなのに
ちょっとでも自分の考えと違うとその場で画用紙を破られて、結局は皆ほとんど同じような絵を
描かされるような、無意味な授業だった。図工と音楽は、その道から専門家を講師として雇っていて
(私立はそういうことができるそうだ)、児童心理などはまったく無頓着な人のようだった。
ある日の授業で「家族」というテーマで自由に描けということになったが、相変わらず同じような
価値観の押し付けをしてきて、祖父母との思い出を描いていたら「何なのこの絵は!ふざけてるの!」と
破ろうとしたので「やめてください。祖父母との大切な思い出なんです」と初めて抵抗した。
その態度に先生は「あたしの授業に文句があるなら出て行きなさい!」と激怒し、私を教室を追い出した。
ちょうどそこに担任が通り掛かって事情を聞かれたのでこれまでのこともすべて話した。担任は図工の先生に
掛け合ったが「そんなふざけた絵を描いている子に教えるつもりはありません」などと息巻いていた。
担任の先生は「じゃあ、教室に戻ってその絵を完成させて、私のところに持って来なさい」と私を教室に戻した。
絵を描き上げて先生に持って行くと「この絵を先生に預けてくれる?」と言い、そのまま渡したら、先生はその絵を
県の美術コンクールに内緒で出展してくれた。結果は金賞、全国コンクールにも出品されて、そこでも金賞を獲った。
後日、そのことが朝の礼拝で発表され、壇上で表彰されて拍手喝采を浴びた。その件が関係するのかはわからないけど、
図工の先生は翌年は別の先生に替わっていて、楽しみの授業へと変わった。
20歳の頃に公園で休息していたら小学校高学年くらいの男児数人に取り囲まれた。男児「お姉さん小さいね」「お姉さんキスした事ある?」「お姉さん恋人いるの?」
小学生の頃、雑誌を買って帰宅途中、交差点で右後方から来たバイクにはねられた!居合わせたパトカー「聞こえる?!そこにいて!」→混乱してた自分は血だらけで帰宅。その結果…
993 :名無しさん@おーぷん 2015/08/18(火) 05:33:37 ID:zAz
スレ梅ついでに、ニュースを見ていて思い出した昔話をひとつ。
時系列で記憶を思い出しながらなので箇条書きっぽくなってしまうのは失礼。
20年ほど前、まだ自分が小学5年生だった時に、ひき逃げにあった時の話。
当時は毎月コロコロコミック(まだあるのかな?)ってマンガ雑誌を毎月発売日に買ってた。
それでその日もいつものように学校が終わって帰宅してから、
自転車で10分ほどのところにある雑貨屋兼書店のような、昔はよくあった商店に買いに行った。
目当てのコロコロを購入して、歩道を走って帰宅途中、交差点に差し掛かったあたりで後方からやけにデカいエンジン音がして、
?と思った次の瞬間に右後方から強烈な衝撃を受けて、道の左沿いにあったコンクリ壁に自転車ごと叩きつけられた。
何が起きたのかさっぱり理解できなかったけど、
倒れ込んだ自分の視界を一台の原付が通りすぎて左折していったのと、
ほぼ同時に交差点の対向車線で信号待ちをしていたらしいパトカーがサイレン鳴らしたことで、
ようやく「あぁ、自分は今のバイクに跳ねられたのか」と把握した。
パトカーは拡声器で「大丈夫?聞こえる?そこにいて!」とだけ言い残して、すぐさま原付を追いかけていった。
でも混乱していた自分は呼び掛けには頷いたものの、どうすればいいのか分からず、そのまま財布とコロコロを現場に落としたまま、ひしゃげた自転車を押しながら帰宅。
血だらけで帰ってきた自分を見た母親がビックリして「どうしたの!?何があったの!?」と聞かれ、
すぐそこの交差点で轢かれた、と告げたら、自分の応急処置を祖母と一緒にしてから、家を飛び出して現場に向かっていった。
見た目こそ血だらけだったものの、幸い怪我は大したことはなく、
血を拭って全身の擦り傷をゴシゴシ洗われて(個人的にはこれが一番辛かった)、
消毒薬を塗って絆創膏だらけになった程度で済んだ。
自宅で20分くらい呑気にテレビを見ていたら、母親が血相変えて帰ってきて、警察の人がお話があるから、ママと一緒に来て、と現場の交差点へ。
当時は分かっていなかったけど、要は現場検証が始まっていたらしく、
事故当時の様子、どちらから来て、どこで衝撃を感じたのか、何か見たこととか覚えていることは無いか?など色々聞かれた。
バイクの人がノーヘルだったこと、髪を金髪に染めていたこと、虎?か何かの模様のジャンパーを着ていたことなど、
我ながらあの一瞬でよく見ていたなと思ったけど、それらを話した。
まぁ話すまでもなくパトカーに乗っていた警官が既に知っていたんだけれど。
他にも偶然幼馴染みのお母さんが交差点の反対側に居合わせていたらしく、話を聞かれていた。
そのお母さんからは「飛ばされた後に起き上がって帰ろうとした自分を見て、止めようと大声で呼んだけど、全く聞こえていない様子だったが、
赤信号の道を渡るに渡れず、そのまま警察が戻ってくるまで現場で待機していた」というような話を聞きました。
その後、全部で2回ぐらいだったと思うけど、警察署に呼ばれて親同伴で行って、担当の刑事?(私服だった)からまた同じようなことを何度も聞かれた後、
事故届を人身にするか物損にするか等、当時の自分の理解の範疇を超えた会話を両親と警察官がしていました。
書いているうちに長文になってしまいエラーで怒られたので続きます。
時系列で記憶を思い出しながらなので箇条書きっぽくなってしまうのは失礼。
20年ほど前、まだ自分が小学5年生だった時に、ひき逃げにあった時の話。
当時は毎月コロコロコミック(まだあるのかな?)ってマンガ雑誌を毎月発売日に買ってた。
それでその日もいつものように学校が終わって帰宅してから、
自転車で10分ほどのところにある雑貨屋兼書店のような、昔はよくあった商店に買いに行った。
目当てのコロコロを購入して、歩道を走って帰宅途中、交差点に差し掛かったあたりで後方からやけにデカいエンジン音がして、
?と思った次の瞬間に右後方から強烈な衝撃を受けて、道の左沿いにあったコンクリ壁に自転車ごと叩きつけられた。
何が起きたのかさっぱり理解できなかったけど、
倒れ込んだ自分の視界を一台の原付が通りすぎて左折していったのと、
ほぼ同時に交差点の対向車線で信号待ちをしていたらしいパトカーがサイレン鳴らしたことで、
ようやく「あぁ、自分は今のバイクに跳ねられたのか」と把握した。
パトカーは拡声器で「大丈夫?聞こえる?そこにいて!」とだけ言い残して、すぐさま原付を追いかけていった。
でも混乱していた自分は呼び掛けには頷いたものの、どうすればいいのか分からず、そのまま財布とコロコロを現場に落としたまま、ひしゃげた自転車を押しながら帰宅。
血だらけで帰ってきた自分を見た母親がビックリして「どうしたの!?何があったの!?」と聞かれ、
すぐそこの交差点で轢かれた、と告げたら、自分の応急処置を祖母と一緒にしてから、家を飛び出して現場に向かっていった。
見た目こそ血だらけだったものの、幸い怪我は大したことはなく、
血を拭って全身の擦り傷をゴシゴシ洗われて(個人的にはこれが一番辛かった)、
消毒薬を塗って絆創膏だらけになった程度で済んだ。
自宅で20分くらい呑気にテレビを見ていたら、母親が血相変えて帰ってきて、警察の人がお話があるから、ママと一緒に来て、と現場の交差点へ。
当時は分かっていなかったけど、要は現場検証が始まっていたらしく、
事故当時の様子、どちらから来て、どこで衝撃を感じたのか、何か見たこととか覚えていることは無いか?など色々聞かれた。
バイクの人がノーヘルだったこと、髪を金髪に染めていたこと、虎?か何かの模様のジャンパーを着ていたことなど、
我ながらあの一瞬でよく見ていたなと思ったけど、それらを話した。
まぁ話すまでもなくパトカーに乗っていた警官が既に知っていたんだけれど。
他にも偶然幼馴染みのお母さんが交差点の反対側に居合わせていたらしく、話を聞かれていた。
そのお母さんからは「飛ばされた後に起き上がって帰ろうとした自分を見て、止めようと大声で呼んだけど、全く聞こえていない様子だったが、
赤信号の道を渡るに渡れず、そのまま警察が戻ってくるまで現場で待機していた」というような話を聞きました。
その後、全部で2回ぐらいだったと思うけど、警察署に呼ばれて親同伴で行って、担当の刑事?(私服だった)からまた同じようなことを何度も聞かれた後、
事故届を人身にするか物損にするか等、当時の自分の理解の範疇を超えた会話を両親と警察官がしていました。
書いているうちに長文になってしまいエラーで怒られたので続きます。