鬼女のつぶやき〜2ch鬼女・キチママ・生活まとめ〜

主に2ちゃんねるの鬼女関連のスレッドをまとめています。修羅場、恋愛・結婚、育児関連の記事が多めです。

    両親


    243 :彼氏いない歴774年 2013/04/08(月) 21:20:42 ID:52oyaJam
    父親は体育会系出身 子供は男が欲しかった 
    母親は男児を妊娠してたらしいけど流産 その後私が生まれた
    親は二人とも私を男みたいに育てた 名前も男みたいな奴 幼稚園の制服も男の子用
    少年野球チームに入れたり、ランドセルの黒を買ったり、男言葉使わせたり、髪も刈り上げられてた 
    一番嫌だったのは少年野球 女子は一人しかいなかったからいじめられていた
    髪の毛を切られるときに床屋のおじさんがお父さんに「なんで女の子を坊主にするんだ」って説教したら
    それ以来父親に刈られる事になった 本当に毎日辛くて、親が憎くて、それ以上に自分に自信が無くて、
    頭がおかしくなりそうだった 中学生になるとき制服採寸でも父親はギリギリまで男子の制服を買うよう
    ごねた 「女子の制服買うなら金は払わん」とか「痴漢されたいから制服を買うのか」とか「男子の制服なら強姦されない」
    とか、その頃私はもう本当に気が狂いそうだった 女子の制服が欲しいけど
    頭は坊主でスカートの制服とかギャグだしみっともないっていう気持ちもあるし、中学生になりたくなかった
    タヒにたかった おばあちゃんがその話を聞いて、血相を変えて女子制服を買ってくれた
    中学1年の間は坊主で過ごしてたけど、その後おばあちゃんの家に家出して、普通の女子の格好をしている

    このせいかは知らないけど男に恋愛感情を持ったことが無い 女に持ったことも無いけど
    というか私は男なのかもしれないとか女なのかも知れないとか頭の中が全然定まらない 
    自分の事が自分でもよくわからないから恋愛なんてできないのだろうな 一生自分に違和感を感じ続けるのだとしたら
    辛い 親とは中学以降10年くらい連絡取ってないけど、今も憎くてたまらない

    931 :名無しさん@HOME 2008/07/14(月) 14:16:26 0
    少々古い話ですがお暇潰しにどうぞ。

    「私は若い頃、沢山の殿方から是非お嫁ににと言われたンですよ。
    お嬢さんが嫁いできて、引け目を感じないと良いンですけどね。
    まあブスでも息子が選んだんだし、そう悲観することもないですよ。」
    結納の席で、ウェイターや実父に色目を使いながら堂々と言い放ったトメ。

    凍り付く実両親、むせる舅、半狂乱の彼。
    周りが焦ると逆に頭が冷えてくるものなんだね。
    スッっと一呼吸、ずっと言いたかった事を言ってみた。
    「鼻毛、出てる。束でゴッソリ。」
    しっちゃかめっちゃかだった空気が一瞬にして収束。
    トメ、「んふゴッ」みたいな声を出した後、あっかい顔して
    慌ててバッグからハンカチを取り出して鼻隠してた。

    その後、彼と舅から正式に謝罪があったものの、
    「大丈夫です、お気になさらずに。鼻毛フッサフッサピーヒョロさせた人が
    何を言ってもギャグにしか見えませんので、全く傷つきませんよ。
    あなたの母上って面白い方ね。こんな捨て身のギャグ、私、初めてです。」
    トメは鼻隠したまま俯いてダンマリ。両耳が尋常でないほど赤くなってた。

    あれから数年経過したが、基本的に私は義実家関連行事にはノータッチ。
    時々夫の目を盗んでトメから電話がかかってくるが、「鼻毛。」の一言で済むので大変に便利である。

    315 :名無しさん@おーぷん 2015/12/14(月) 13:27:41 ID:???
    先月弟の葬式があり、先日早めではありますが49日法要を行いました。
    その席で両親が、、「〇〇(弟)は、天使だった。だから神様のもとに召された。」
    まんまではありませんが、こんなようなことを式辞(?)で話しました。
    私の弟はダウン症で、両親はともに教師をしており共稼ぎだったため、物心がついたころから、
    弟の世話はほとんど私がやっていました。
    幼稚園に連れて行く、学校に連れて行く、食事をさせる、お風呂に入れる、等々
    はっきり言ってほとんど私がお世話係で、今思い出しても学校の中でも、放課後でも友達と遊んだこともありません。
    それを思い出すと、思わず式辞を聞いて鼻で笑ってしまいましたら、
    目ざとく母がそれを見て、みんなで食事をとろうとした時に私の隣に来て
    「あんた、〇〇がタヒんで、喜んでるんじゃないでしょうね。なんてひどい子なの。」
    といったようなことを言われ少しお酒が入っていたので、
    「何言ってんの?あんたたち面倒の一つも見たことないくせに偉そうに言ってんじゃないよ。
    大体幼稚園の頃から〇〇の面倒人に見させておいてさ。
    はっきり言うけど、私が悲しむと思ってんの?ずっと早くいなくなれと思ってたよ。」
    って言ってしまい、両親から殴るけるの暴行を受け、現在父方伯母の家に家出中。
    この伯母はずっと私を助けてくれて、両親にも共稼ぎを辞めて弟の面倒は私じゃなく親が見なさい。
    とさとしてくれてたんだけど、将来弟が困るから金を稼ぐといってずっと私に投げっぱなしだった。
    伯母はもうこのまま逃げなさいと言っているので、取れるもんきっちりとって逃げることにした。
    今朝、病院に行って診断書取ってきて、警察に被害届出してきた。
    最初から弁護士についてきてもらったからか、すんなり受け取ってもらえた。
    金をたっぷりとるまでは、絶対に取り下げない。
    今までの労働力の対価もきっちりもらう。
    絶対あいつら許さない。

    77 :1/2 2015/06/21(日) 13:05:47 ID:E8H
    父の日で思い出す神経判らん思い出
    ダラダラと長文ですまん

    小学校からの幼馴染みのAの話
    家が近所だったのもあり、ガキの頃はよくお互いの家に遊びに行った
    休日にAの家に行くとご両親が揃ってたりする訳だけど、これが漫画かドラマにでも出てきそうなラブラブ夫婦だった
    お互いを「○○ちゃん」とか呼び合ってべったりくっついて座ってたり、楽しそうにおしゃべりしながら一緒に庭仕事してたりする
    うちは糞親父が浮気繰り返して常に家庭内冷戦状態(後に両親離婚)だったから正直うらやましかった

    その後Aとは高校が別になり、お互い他の事も忙しくなって会うことも減っていった
    そして俺もAも成人を迎えてすぐ、Aの親父さんが急タヒした。まだ四十代の若さだった
    通夜には顔を出したが、ラブラブだった旦那を亡くしたAのお袋さんはかなり憔悴状態
    葬式終わったら後追いするんじゃないかって心配になるくらいだった
    それをきっかけにAとの付き合いが復活、たまに会うようになった
    A自身も親父さん亡くなってかなり落ち込んでたが、それよりやっぱりお袋さんの事が心配らしく
    外に出かけたがらない、ずっと親父さんの遺品見て泣いてる、とか色々言うので
    俺も俺なりに話を聞いたりアドバイスしたりしてた

    そのまま年月が経ちお互い就職したり俺は結婚したり色々あった訳だが
    段々とAの発言の質が変わって来た

    A「最近母さん趣味のサークル入ってさ、来月頭、そこの友達と旅行行くんだとよ」
    俺はお袋さんがようやく前向きになったという話かと思い
    俺「へー、いいじゃん」
    と応じたら
    A「よくねーよ。旅行中に父さんの月命日があるんだぞ。これまでずっと欠かさず親父の好物作って食卓に上げる日だったのに」
    A「どうすんだよって聞いたら『旅行から帰って来てからやる』って」
    A「なんか最近の母さん、父さんの事適当にしてる気がする」
    ちなみに、この時点でA親父さん亡くなって5、6年経ってた
    俺「いつまでも引きずるのもしんどいし、引きこもって泣いてるよりいいじゃん」
    と言ったんだが、なんか不満顔された

    789 :名無しさん@おーぷん 2017/12/09(土) 14:23:34 ID:efI
    私の実家は今こそアパート経営で生計を立てていますが、昔はそこそこの土地を持っていました
    これは私の実家がまだ農家をやっていた頃の話
    ある日、父が知り合いから烏骨鶏の受精卵を5つほど譲り受けてきました
    烏骨鶏の卵は高値で売れる為、採卵目的であったと思います
    大事にインキュベーター内で加温したところ3つの卵が孵化しました
    ただし、父が望んでいた烏骨鶏ではなくごく一般的な白レグ(普通の鶏)でした
    期待を裏切られた父がやる気をなくして飼育をやめてしまった為、私が引き続き3羽を世話することになりました
    飼育を始めて半年が経過する頃には3羽ともわたしに懐き、縁側でうつ伏せになって漫画を読んでいると、肩や土踏まずの上にとまるまでになりました
    重いし臭うし五月蝿いしで嫌なところもありましたが、3羽とも大切な私の家族でした
    ある日、私が学校から戻って庭にある飼育小屋を覗きに行くと、3羽の姿が見えません
    それぞれの名前を呼びながら庭中を探しましたが見つかりません
    嫌な予感がして母に鶏達を知らないかと聞きに行くと、台所で揚げ物をしていた母は「そこにいるやろ」と振り向かないまま言いました
    チョボと、ポコと、くーちゃんは、夕飯になってテーブルの上に乗っていました
    夕食時、パクパクと唐揚げを平らげる両親でしたが、私は一切箸をつけることができませんでした
    食べ物を粗末にするなと父に叱られましたが、絶対に食べるものかと思いました
    私にとってチョボ達は家族でしたが、両親にとっては家畜に過ぎなかったことが衝撃的な出来事でした

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