鬼女のつぶやき〜2ch鬼女・キチママ・生活まとめ〜

主に2ちゃんねるの鬼女関連のスレッドをまとめています。修羅場、恋愛・結婚、育児関連の記事が多めです。

    ネグレクト

    202 :名無しさん@HOME 2018/05/09(水) 10:42:39 0.net
    文章力ないのでわかりにくかったらごめんなさい
    我が家の長女の実の親は義兄夫婦
    ウトメが当時2歳前の長女がネグレクトでやせ細ってるのを発見して保護
    夫や単身赴任中の義兄へ連絡して、話し合いを拒否した義兄嫁を除いた家族会議に私も出席
    話し合いを通じてわかったのは、義兄も長女に無関心だったこと
    ウトメが引き取るのでまとまりかけたところに、私たち夫婦が待ったを
    ウトメは義兄出産時点で高齢出産だったため、当時すでに60を超えていて、長女が成人するまで健在かどうかわからない
    そして私は婚前に患った婦人系の病気で妊娠するのは低確率
    その後夫と散々話し合い、子供が欲しかった私たち夫婦は決心して我が家で引き取ることに
    その時点で義兄嫁は単身赴任中の義兄の元へ、養子にという話も関心がないらしく、好きなようにしてくれと
    義兄も引き取ってくれるならどうぞという姿勢
    手続きをして正式に我が家へ長女を迎えた
    育児は大変だった ネグレクトされていてもママが恋しくて泣く長女にこっちまで泣きそうになったり
    しかし途中で投げ出すくらいなら最初から引き取ってないと、ウトメの力を借りながら夫と必タヒに育てた
    何ヶ月もすると長女に実の親の記憶がなくなったのかママと泣かなくなり、言葉をきちんと話せるようになると私たちをパパママと呼ぶように
    数年後幸運にも長男に恵まれ家族4人幸せに暮らしていたのに
    先日義兄嫁が突然我が家に来た
    家は戸建てで住所が変わってなかったです
    15年音信不通だったので最初は誰かわからなかったが自己紹介されて何で今頃と
    長女に会いたい、ずっと忘れられなかったという義兄嫁に物凄く憤った
    長女は自分が養女だと知らないので、下手をうてば長女が傷付くと思い、長女は外出中で本人の意思を確認したい、時間をくれ、連絡はこちらからすると伝えて引き取ってもらった
    夫とまだ健在であるウトメへすぐ連絡、当然激怒
    長女は大学受験を控えていて義兄嫁のことを教えたくない
    時期が来たらいずれわかることなので話すつもりではあるが今ではないなと
    念のため弁護士を探しているが義兄嫁が凸してきて長女が傷つくんじゃないかと心配でならない
    それに母親なんだから会う権利があるの言葉にも本当に憤る

    125 :名無しさん@おーぷん 2014/07/31(木) 09:57:56 ID:wB5JgCzBv
    私は小2までネグレクトを受けていた。いつから受けていたかは覚えていない。
    父は物心ついた頃からいなくて母と2人暮らしだった。その母は夜になっても家に帰ってこなくて、私は空腹に耐えられず、冷蔵庫の中を勝手に漁ったりしていた。
    冷蔵庫を漁ったのがバレると往復ビンタをされた。顔は腫れ、痛みを和らげる為に水で顔を冷やしたりした。

    学校には行っていた。友達はおらず一人で本を読んで過ごしていた。
    担任からは薄汚れた格好と腫れた顔を指摘され、「お気に入りの服だから洗濯してほしくない」「洗剤を間違えて口に入れて顔が腫れた」と説明した。これは母が言えと言ったから。

    母は三日に一度帰ってくれば良い方だったが、とうとう十日間帰ってこなかった。
    冷蔵庫の中も底をつき、畳を毟って口に入れる始末。気力も無くて外へ出る事も無くなった。
    学校も無断欠席が続き、とうとう担任が家を訪ねてきた。
    薄れゆく意識の中、担任の声とセミの鳴き声が忙しなく聞こえてきたのを覚えている。

    私は施設に引き取られた。
    母はどうなったか知らないし知らされていない。おそらく捕まったんだろうな。
    あんな母親でも私は「お母さんに会いたい!」と泣きじゃくった。もうホームシックみたいな状態で連日泣いていた。

    133 :おさかなくわえた名無しさん@\(^o^)/ 2015/01/31(土) 18:04:58.65 ID:udEwxOmI.net
    小学生の頃、親から今で言うネグレクトをされていた。
    学校が夏休みに入って頼みの給食もなくなり、家に何日も親がいない状態。
    食べるものも無く、4日間水以外何も口にしていないという頃
    「このままではタヒぬ」と思って意を決して家を出た。
    体力も無くてフラフラの状態だったが無我夢中で、
    家から少し歩いたところにある文房具屋に入った。
    何故そこに入ったのかハッキリとは覚えてないけど、
    とりあえず大人がいる建物に入らないとと思ってたような気がする。
    文房具屋の店主の爺ちゃんは自分を見てビックリしていたけど
    「食べる物ください」と訴えたら店の裏の自宅に連れて行ってくれた。
    中には婆ちゃんがいて(やっぱりビックリしてた)、
    爺ちゃんが「今すぐなんか出してやれんか」と言うと
    パタパタ台所に行って雑炊を作ってきてくれた。
    夢中で食べてすぐに平らげてしまって、正直味なんて全然わからなかった。
    食べ足りないと思ってたところに、婆ちゃんがお菓子を出してくれた。
    そのお菓子があまりに美味くて、この世にこんなにうまいもんがあるんだと
    それがとにかく衝撃的だった。
    サンドイッチのお菓子バージョンみたいな感じで、パンがスポンジケーキ、中身が羊羹だった。
    当時はスポンジも羊羹も勿論、甘いものすら食べた記憶がなかったから
    美味しさで頭の中が軽いパニックになった。信じられなかったよ。
    2つ出してくれてたんだけどこれもすぐに食べてしまったら、追加でもう1つだしてくれた。
    それを食べたところでようやく落ち着いて、風呂にも入れてもらった。
    垢がボロボロ出る俺を爺ちゃんが一生懸命洗ってくれた。

    あの時のあのお菓子もう一度食べたいけど、スーパー探し回ってもなかなか見つけられない。

    781 :名無しさん@おーぷん
    母親に放置され衰弱していく弟を病院に連れていったときが修羅場だった

    当時私は5歳、弟は2歳だった。
    私の父の顔は知らないが、弟の父の顔は覚えてる。弟が生まれてすぐいなくなった。この時点で母は×2
    母は3日に一度帰ってくるだけ。帰ってきた日に大量に米炊いて皿に盛ってまた出かけていく。
    私は5歳だったけど幼稚園や保育園に行ってなかった。
    入園式には出た記憶はあるような無いような。すごくあやふやになってしまっている。
    私は大量に炊かれた米を食べ飢えをしのぎ、弟にもそれを与えてた。わたしがスプーンですくって口の中に入れる感じ。
    弟は上手に咀嚼できなくてむせたりしてた。

    847 :名無しさん@おーぷん
    私は就学前、幼稚園にも保育園にも行っていなかった。
    いきなり小学校に入った私はもともと内向的な性格なこともあり
    友達が出来ず、小1、2年は孤独に過ごした。
    小3になって初めて友達ができた。といっても1人だけだけど。
    相手はけっこう社交的な子だったのに、なぜか私しか友達がいなかった(この理由は今も不明)
    生まれて初めて私は「お友達の家にお呼ばれ」をした。

    衝撃だったのは、その子のご両親が笑顔で会話していたこと。
    私の父親は家で口をきくということがなくて、
    母も父にしゃべりかけることがなかった。
    物心ついた時からそうだったので、特に疑問に思ったことがなかった。
    ビックリした私は友達に「お父さん、しゃべるんだね!」と言い
    友達は不思議そうな顔をしていた。そりゃそうだ。

    その子の家で私は色んな初めての物を見た。
    テレビでしか見た事がなかった二段ベッドやシャンデリア。
    三時のおやつも初めて食べた。
    家に入るとき「おじゃまします」と言い、靴を揃えることもその子に教えてもらった。
    今思うと友達がいなかった理由がよくわかる。
    最低限の礼儀作法や、挨拶すらできなかったんだよね。ありがとうも言えなかった。

    それ以後ちょっとずつ人間らしくなって、小5のクラス替えでは普通に数人の友達ができた。
    中学でも普通にふるまえた。
    本当にあの子のおかげだと思う。
    うちの親は毒親ってわけじゃないが、自分以外どうでもいい人同士が結婚して
    家庭を作ってしまった不幸な例なんだろう。
    時々叩かれたりネ果にされて外に放り出されたりしたが、
    ごはんは食べさせてもらってたし、不潔気味だったけど服も買ってもらってた。
    でもうちの親がしてたことは、やっぱり軽度のネグレクトだったんじゃないかと。

    運良く小3で気づけたけど、めぐり合わせによってはもっと高年齢になるまで気づけなくて
    矯正不可能になっていたかもしれないと思うと、少しゾっとする。

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