ネグレクト

    133 :おさかなくわえた名無しさん@\(^o^)/ 2015/01/31(土) 18:04:58.65 ID:udEwxOmI.net
    小学生の頃、親から今で言うネグレクトをされていた。
    学校が夏休みに入って頼みの給食もなくなり、家に何日も親がいない状態。
    食べるものも無く、4日間水以外何も口にしていないという頃
    「このままでは死ぬ」と思って意を決して家を出た。
    体力も無くてフラフラの状態だったが無我夢中で、
    家から少し歩いたところにある文房具屋に入った。
    何故そこに入ったのかハッキリとは覚えてないけど、
    とりあえず大人がいる建物に入らないとと思ってたような気がする。
    文房具屋の店主の爺ちゃんは自分を見てビックリしていたけど
    「食べる物ください」と訴えたら店の裏の自宅に連れて行ってくれた。
    中には婆ちゃんがいて(やっぱりビックリしてた)、
    爺ちゃんが「今すぐなんか出してやれんか」と言うと
    パタパタ台所に行って雑炊を作ってきてくれた。
    夢中で食べてすぐに平らげてしまって、正直味なんて全然わからなかった。
    食べ足りないと思ってたところに、婆ちゃんがお菓子を出してくれた。
    そのお菓子があまりに美味くて、この世にこんなにうまいもんがあるんだと
    それがとにかく衝撃的だった。
    サンドイッチのお菓子バージョンみたいな感じで、パンがスポンジケーキ、中身が羊羹だった。
    当時はスポンジも羊羹も勿論、甘いものすら食べた記憶がなかったから
    美味しさで頭の中が軽いパニックになった。信じられなかったよ。
    2つ出してくれてたんだけどこれもすぐに食べてしまったら、追加でもう1つだしてくれた。
    それを食べたところでようやく落ち着いて、風呂にも入れてもらった。
    垢がボロボロ出る俺を爺ちゃんが一生懸命洗ってくれた。

    あの時のあのお菓子もう一度食べたいけど、スーパー探し回ってもなかなか見つけられない。

    781 :名無しさん@おーぷん
    母親に放置され衰弱していく弟を病院に連れていったときが修羅場だった

    当時私は5歳、弟は2歳だった。
    私の父の顔は知らないが、弟の父の顔は覚えてる。弟が生まれてすぐいなくなった。この時点で母は×2
    母は3日に一度帰ってくるだけ。帰ってきた日に大量に米炊いて皿に盛ってまた出かけていく。
    私は5歳だったけど幼稚園や保育園に行ってなかった。
    入園式には出た記憶はあるような無いような。すごくあやふやになってしまっている。
    私は大量に炊かれた米を食べ飢えをしのぎ、弟にもそれを与えてた。わたしがスプーンですくって口の中に入れる感じ。
    弟は上手に咀嚼できなくてむせたりしてた。

    847 :名無しさん@おーぷん
    私は就学前、幼稚園にも保育園にも行っていなかった。
    いきなり小学校に入った私はもともと内向的な性格なこともあり
    友達が出来ず、小1、2年は孤独に過ごした。
    小3になって初めて友達ができた。といっても1人だけだけど。
    相手はけっこう社交的な子だったのに、なぜか私しか友達がいなかった(この理由は今も不明)
    生まれて初めて私は「お友達の家にお呼ばれ」をした。

    衝撃だったのは、その子のご両親が笑顔で会話していたこと。
    私の父親は家で口をきくということがなくて、
    母も父にしゃべりかけることがなかった。
    物心ついた時からそうだったので、特に疑問に思ったことがなかった。
    ビックリした私は友達に「お父さん、しゃべるんだね!」と言い
    友達は不思議そうな顔をしていた。そりゃそうだ。

    その子の家で私は色んな初めての物を見た。
    テレビでしか見た事がなかった二段ベッドやシャンデリア。
    三時のおやつも初めて食べた。
    家に入るとき「おじゃまします」と言い、靴を揃えることもその子に教えてもらった。
    今思うと友達がいなかった理由がよくわかる。
    最低限の礼儀作法や、挨拶すらできなかったんだよね。ありがとうも言えなかった。

    それ以後ちょっとずつ人間らしくなって、小5のクラス替えでは普通に数人の友達ができた。
    中学でも普通にふるまえた。
    本当にあの子のおかげだと思う。
    うちの親は毒親ってわけじゃないが、自分以外どうでもいい人同士が結婚して
    家庭を作ってしまった不幸な例なんだろう。
    時々叩かれたり裸にされて外に放り出されたりしたが、
    ごはんは食べさせてもらってたし、不潔気味だったけど服も買ってもらってた。
    でもうちの親がしてたことは、やっぱり軽度のネグレクトだったんじゃないかと。

    運良く小3で気づけたけど、めぐり合わせによってはもっと高年齢になるまで気づけなくて
    矯正不可能になっていたかもしれないと思うと、少しゾっとする。

    227 :名無しさん@おーぷん

    犬小屋で凍タヒ寸前の同級生(8)が寝ていたのが修羅場。


    もう20年以上前の話。
    当時のことをちょっと思い出してしまったので投下しにきた。

    宗教・キチ・長文・胸糞
    当時8歳。うろ覚えのところもあるからそこは推測も混じる。
    同級生=以下Bとする。

    以上がアウトな方は回避推奨です。

    Bは小学校に入ってすぐ転校(1年生の途中)してきた。
    詳しくは知らないけど祖父母の元に母親と身を寄せていた風。
    そこまでは珍しい話じゃないけど、その家の祖父母がおかしな宗教にハマっていたことから近隣は遠巻きにしていた。
    私とBは家が近所だったから登下校で毎日一緒になっていた。(集団)
    Bは冬でもTシャツ半ズボンだったから当時の私には異様に見えた。
    私の地元は毎年冬には20〜30cmの積雪がある地方。
    そんな中をTシャツと半ズボンだけで外に出すなと近隣の大人が何度も言ったそうだが、祖父母は耳を貸さなかったそう。
    クラスがいっしょだったから、給食の時に「家で食べさせてもらえない」って聞いて以来、食が細かった私は毎日おかずとか牛乳とかをあげていたのを覚えている。
    今でいうネグレクトだが、どうもこれは宗教かぶれの祖父母の教育方針で
    「薄着の方が強く育つ」
    「〇〇様のお告げで子供に贅沢をさせてはいけない」という理由かららしい。(母談)
    見かねた大人が子供のおさがりをあげても祖父母が処分するという悪循環。
    当時の近隣の大人たちの心境は「関わりあいたくない」「凍(餓)タヒでもしたら」という感情が混じり、祖父母の眼に触れない範囲でご飯を食べさせたり、登校の際に上着を貸して、下校の際に返すように言ったりしていたそうだ。
    当時児相とかがあったのかはわからないけど、大人たちは学校に相談したり、担任が直訴に来たり色々していたようだ。
    二年生の夏休みに脱水症状で道端で倒れているところをうちの母が保護したこともある。
    それがきっかけで体調がよくなってからBは家で夕飯を食べていくようになった。
    こう書くと典型的な放置子を拾ってしまった風にも見えるけれど、Bは放置子にありがちな悪ガキではなく、食べた食器を自分から洗ったり、弟(3)をあやしてくれたり、大人と会話をする時に敬語を使っていたりと、その年の子供にしてはしっかりしているいい子(母談)だった。
    毎日うちでご飯を食べていることを気にしていつも私に謝っていた。

    6 :本当にあった怖い名無し@\(^o^)/ 2015/11/22(日) 04:51:59.87 ID:c7Y6S/hM0.net
    ネグレクト気味でほとんどを祖父母の家で過ごした幼少期
    共働きで母親だけが家にいるときは大体癇癪をおこしてサンドバッグにされていた
    中でもよくされたのが事故にみせかけて階段から突き落とすというもの
    当時は小学校低学年で体重もあまりなかったため軽傷だったが、今でも階段はなにかに捕まらないと恐くてのぼりおりできない
    なので、復讐として夏休みの絵日記と称して暴行を受けた記録をかいて提出した
    その後も中学を卒業するまでずっと暴行を受けた記録を作文やらなにやらで提出し続けた
    授業参観など来たことがない親だったので、知る由もないが、周りの家庭からはドン引きされていた
    復讐というよりは自爆テロみたいなもんですね

    このページのトップヘ