嫌な体験談

    378 :名無しさん@おーぷん 2014/08/03(日) 18:40:53 ID:yzx34L8rm
    いとこの話、伝聞調にするとウザいんでいとこ視点で書きます。
    あと、若干オカルト注意

    私の母の実家は代々霊感もちが多め。
    私や叔母は全然ないけれど、祖母、母、妹、兄娘などが若干の霊感もち。
    でも霊が祓えるほどではなくて
    「なんとなくいいものか、悪いものかわかる」程度と聞いていた。

    結婚して6年目に旦那の不倫、不倫相手の妊娠が発覚。
    上手くやってきたと思っていただけに青天の霹靂。
    大混乱しつつ、再構築を希望し、別れない!!と主張する私に、
    離婚届(記入済み)と「俺のことを忘れて幸せになれ」という手紙を
    置いて旦那は逃亡&転職してゆくえ知れずに。
    貯金は慰謝料として(?)3分の2ほど残してくれていた。

    私はショックのあまり寝込んで、実家で静養することに。
    しばらくして夫からlineで連絡が入るようになる。
    結構な長文で離婚届の提出の催促と、
    私の健康を心配する内容だった。
    返信はしたが、どうしても離婚届はだせなかった。

    ある日、旦那からのlineをみたら、
    「いやだ!タヒにたくない!!」っていう旦那の絶叫が耳元で響いた。
    びっくりして絶叫してスマホを投げ捨てた。
    私はてっきり、そういうボイスメール的な新機能をlineがつけて、
    旦那がそれを悪戯で送ってきたのかと思った。

    254 :名無しさん@おーぷん 2015/11/05(木) 06:51:19 ID:Frn
    今ほどス㋣ーカーという概念が一般的じゃなかった頃の話なんだけど
    大学で同じ講義を取っていたというだけの男に粘着されたことがある
    顔も知らない、名前も知らない男が、まったく話しかけもしてこないくせに
    漫画みたいに物陰からじーっと見つめてくるのはある意味ホラーだった

    大学に訴えても効果はなく、自衛しつつ友達に周辺を固めてもらっていたけど
    ゴミを漁られたり、独り暮らしの下宿に無言電話や不審手紙を送りつけられて
    本当にノイローゼになるかと思った
    意を決して警察に行っても「あなたモテるんですねwww」と茶化される始末
    最終的には「そんな服装をしているあなたにも問題がある」と大真面目に
    説教をされて帰されて、悔しくて泣いた
    ↑ちなみにこの時の服装はジーンズにTシャツ
    腕と足と尻のラインが出るのが問題なんだって婦警に説教された

    両親に訴えても「だから女の独り暮らしは反対だったのよ」と毒母に責められ、
    「どうせお前から男をたらしこもうとしたんだろう」と毒親父に散々罵られた

    事ここに至っては自分でなんとかするしかないと思い詰め、夜道を一人で
    歩いてス㋣ーカーをおびき出し、曲がり角で待ち伏せして、現れた男を
    電柱の陰に事前に隠しておいたバットで思い切りぶん殴った
    「なんで、愛してるのに」とわめく男に何度もバットを振り下ろしたけど
    やっぱり恐ろしかったのと、女の力だったせいか大して怪我もさせられず
    そのまま逃げられてしまった

    その後、ス㋣ーカー男は母親を伴って大学に凸
    (なぜ警察に行かなかったのかは不明)
    「○○という女子学生に暴力を振るわれました!」と訴えたので
    私も呼び出しを受けたが、友達が私への被害を証言してくれたので
    大学としても「喧嘩両成敗ね」と両者を停学処分にするしかできなかった
    正直「喧嘩両成敗」の一言で済ませられる問題でもないと思ったが
    時代が時代だったのか、それで全て終了してしまった

    ちなみに私は両親から「あばずれ娘」の烙印を押されて勘当されたが
    学費も生活費も奨学金とバイト代で賄っていたのでなんともなかった
    意地になってきっちり卒業して、他県で就職したら、どこで調べたのか
    「女だてらに頑張ってるじゃないか」と金の無心に来られてまいった

    今では両親もきっちり絶縁したけど、あの当時は本当に色々な人や物が
    「神経わからん」だったなと思い出します

    264 :おさかなくわえた名無しさん 2008/02/09(土) 17:37:19 ID:vXr7O+EP
    今日、入門2ヶ月くらいの練習生の相手をさせられた。
    そいつはいわゆるDQN。町で見かけるチンピラのような奴だ。
    態度も礼儀もなっていないし、ボクシングをなめている感じがあった。
    だからスパーさせて力のなさを理解させてやろうということになったらしい。

    僕が相手に選ばれたのは、弱そうだから。
    こんな弱そうな奴にボコボコにされたら、馬鹿でも自分の弱さに気づいて
    大人しくなるだろう、ということらしい。僕には「本気でかましていいから」と
    指示が出ていた。

    1R目から、DQNが前に出てきた「オラァ!」という感じで突っ込んでくる。
    素人同然の滅茶苦茶な大振りパンチだ。
    軽くステップワークで翻弄して遊ぶつもりだったが、余りにも強引に前に
    出てくるので、少し頭にきた僕は本気で打ち合った。勝負が付くまでに
    時間はかからなかった。

    「あんまりなめてんじゃねーぞ、わかったか!!」

    そう叫ぶDQNの声を遠くで聞いた気がする。
    気が付くと、僕はジムの長椅子の上に寝かされていた。

    571 :名無しさん@おーぷん 2016/08/05(金) 04:03:39 ID:teq
    私が5歳の頃まで祖父母が健在
    その祖父母の家の隣に住んでた家族に女、女、男の三姉弟がいた
    私の記憶には上の姉妹しかいなかったんだけど、その姉妹の妹のほうに執拗にいじめられていた
    もう20年は前の記憶だからほんとうに曖昧なんだけど、妹は私より年上で、とても綺麗な能面のような表情が張り付いていた
    彼女はまだ3歳かそこらの私を遊びに誘っては、私がタヒんでもおかしくないようなことを繰り返した
    ジャングルジムのてっぺんに登らせて両手を離して立たせたり(鉄にぶつかりながら落ちた)
    鉄棒の上に立てと言われたり(顔面から落ちた)
    滑り台の上から飛び降りろと言ったり(突き落とされた)
    知らない道に連れて行って放置したり(教会の十字架を目印に帰ってこれた)
    漕いだブランコから飛び降りろと言ったり(頭かち割れて大流血した)
    すべて両親共働きで祖母に預けられている間のこと
    妹の方はなぜか周りからイイ子として扱われており、私がこんな大怪我をしても誰もそいつが犯人だとは思わなかった
    私は怪我をさせられるたびこっぴどく周りから叱られることが続いた
    妹のほうがやったと言っても、叱られたくなくて人のせいにしてると思われてた
    今でも当時負った傷の跡が残っている
    相当ひどい怪我だった
    心の中では「なんであの根性悪の妹を大人たちは可愛がるの」と思いながら、常に妹の方に恐怖していた

    大人になり、ふとその時の話を思い出して母にした
    すると私の知らない真相を母が知っており、母の知らない真相(上記)を私が知っていることが判明

    母によると、私が恐怖し恐れていた妹は「全く笑うことのできない」子供だった
    原因は母親の愛情不足
    顔の表情が一切変わらなくなったことも、母親は幼稚園の先生に指摘されるまで気づかないほど放置されていた
    表情が消えてから数年経っても改善しなかった
    しかも妹のほうは大人の前ではまるで気弱で内気な女の子のように、物陰に隠れ、一言も発せず、大人の言うことに小さく首を動かすことしかしなかったそうだ
    大人からはとてもか弱く儚い少女に見えていた
    私の知っている人物像とはまるで違う
    私の知る妹は、能面の顔で残酷なことを告げ、多弁で罵り、従わなければ暴力、時に崖から突き落とすような真似を簡単にする人だった

    母には「なんでその時言わなかったの」と言われたが、まだその時私は3歳か4歳
    弁の立つ年上の妹の言い分は私の言い分より理路整然としていて説得力があり、泣きじゃくりうまく喋れない私が真実を話す前に周りの大人たちは妹の言うことから偽の事実を予想しそれを信じ込んだ
    「遊びたくないといえばいいじゃない」と言われたが、面倒見のいい優しい妹と評判だった彼女の遊びの誘いを断るのは子供の立場からして辛いものがあった
    子供は扱える言葉数が少ない分、自分でも不思議なくらい空気を読む
    残酷な妹が面倒見のいい女の子、私が手のかかるグズな子と大人が見ていれば、私は大人の当てはめた役を演じるほかなかった
    私が大人の作った役から外れれば、大人が困るということを3歳にしてなんとなく理解していた
    大好きな祖父母も母も困らせたくはなかった

    今思えば妹にとって私は唯一のストレス発散の相手だったのかもしれない
    母によると、私が幼稚園に行ける年齢となり、遊ばなくなってから、より症状が悪化したようだ
    本当は私が週に一回も母に会えず、夜に寂しくて泣いていることも知らず
    母と私が楽しく縁側で談笑している姿を見ては、私に嫉妬してか、私を遊びに誘い、母の目がなくなった隙に大怪我をさせられていた

    私は妹から執拗にいじめられていた理由が分かったし、母は私がなぜこうも大怪我を繰り返していたのかの真相が判明したが、お互い残ったのはその妹がどうなったのかという心のシコリだけだった
    母も私も忘れたままでいたほうがよかったのかもしれない

    264 :名無しさん@おーぷん 2014/11/11(火) 19:55:56 ID:WVRA3rbom
    20年経っても引きずってる、子供の頃の修羅場。

    893からも爪弾きにされるようなクズの継父に
    無理やり水商売をさせられてた母親が、私の目の前で刺された。
    理由は『男とイチャイチャしてたから』
    水商売だから当たり前じゃん・・・と、子供でもわかる因果なのに
    覚せ◯剤とアル中で脳みそが海綿体になってた継父には青天の霹靂だったらしい。

    昔取った杵柄というか、人を刺し慣れているらしい継父は
    肋骨の下から突き上げるように母を刺し、包丁を抜くと床に投げ捨てて
    呻く母を罵りながら、殴る蹴るの暴行を加えた。
    私は身を挺して母を守り、継父を威嚇して追い出す事に成功。
    「警察も救急車も呼ぶな」という母に肩を貸して、徒歩で近くの病院に連れて行った。

    なんとか一命は取り留めた母だったが、片肺が二分の一になってしまった。
    入院費も無いので無理やり退院させられ、逃げる気力も無くした母はその後も水商売を続けた。
    継父は日を追う毎に脳がグズグズになって、現実と妄想の区別がつかなくなったようで
    一年も経たず、また包丁を持ち出して母を刺そうとした。
    幸い、刺される前に事に気づけた私は、母を守りたい一身で立ち塞がった。
    さすがに子供は刺せなかったのか、火のついた煙草やライターを投げつけた後にどこかへ逃げた。

    呆然としながら母と抱き合い、そのまま、店にあるお金と衣類を持って母と二人で夜逃げした。
    とはいえ何も無いので、私は伯父の家(三重)に預けられ、母は祖母の家(宮崎)に身を寄せた。
    夜逃げして二週間、継父は生活苦であっさり自杀殳。無縁仏として処理して貰った。
    もう、逃げなくていいんだという開放感で、特に問題無く過ごしたと思う。

    その後、母は迎えに来てくれたが、三日ほど一緒にいただけで
    新しい恋人の仕事に付き添うと言う理由で、母は一人で東京へ行ってしまった。
    知らない土地で、私は一人ぼっちになった。
    ある日、風邪を引いて4日熱が下がらず、助けを求める為に母に電話しようとしたら、電話が止まっていた。
    這うように電話ボックスへ行き、母の携帯に電話をしても「ごめんね。帰れない」ばかり。
    あまりにも酷い仕打ちに泣きながら暴言を吐いたら、母は悲しげな声で
    「子供とは一生一緒にいる訳じゃない。私には私の人生がある」と言われ、一方的に電話を切られた。

    それから先は覚えてない。ノイローゼになったのは確かだけど。
    結局、私は誰の為に母を守ったんだろうか。あの人は、あの時、タヒんどくべきだったのか。
    未だに色々考えては、答えも出せずに、発狂するのを堪えてる。

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