鬼女のつぶやき〜2ch鬼女・キチママ・生活まとめ〜

主に2ちゃんねるの鬼女関連のスレッドをまとめています。修羅場、恋愛・結婚、育児関連の記事が多めです。

    感動

    937 :名無しさん@お腹いっぱい。 2013/07/05(金) 23:01:05
    おっさの独り語りだから、ウザいと思ったら読み飛ばしてくれ。

    当時35歳だったモテないリーマンだった俺の部署に、配転で何人か配属された。その中に美人系ではなく小動物系のかわいい娘がいた。
    自己紹介で「みんなにはハムスターに似ているのでハムちゃんと呼ばれています」と言っていたので、みんなは本名の○○子ではなくてハムちゃんと呼ぶようになった。
    そこで歓迎会で飲みに行った。一次会と二次会ではハムちゃんと一言ぐらいは話したような気がするが思えていなかった。そして三次会にもハムちゃんは付いてきた。
    すでに相当できあがっていた俺の記憶はここから先が無く、気がついたら自分のベッドでYシャツ着たまま寝ていてすでに朝だった。
    翌日二日酔いで会社に言ったら、ハムちゃんに懐かれていた。他の人にも話を聞くけど、微妙に俺に聞くことが多いような気がした。
    ただ席は俺が一番近かったので、近いヤツに聞いてるだけだろうと思っていた。
    ハムちゃんは小動物系でちょこまか動くのがかわいいので、みんなにかわいがられていた。
    なかでも部長は彼女が入れるお茶が大好きで、彼女がお茶を入れるとやたらと機嫌が良かった。
    それと酒は強くなさそうで、あまり飲まないのに飲み会には必ず参加していて、二次会とか三次会まで付いてきた。
    そして俺の家と帰る方向が同じだったので、飲み会の後はよく一緒に帰っていた。
    そのうちハムちゃんとは飲み会以外でも時々一緒に帰っていたが、単に一緒にファミ乚スで晩ご飯食べたりする程度で、
    たしかに仲は良かったが後輩以上恋人未満というような感じだった。それに俺はもう一歩踏み出せない理由もあった。

    369 :名無しさん@おーぷん 2020/01/06(月) 12:22:40 ID:???
    とても長くなってしまったけど書かせてね。

    昔、爺の親友が事故で亡くなって遺された一粒種の男の子をうちで育てたの。
    その辺りの事情は長くなるし、身バレも困るので割愛するけど
    すでに6歳になってたから本人も事情は大体分かってて、
    でも亡くなった親友と共によくうちに遊びに来てたから、うちの生活に慣れるのは早かったの。
    本当は養子にしたかったのだけど母親が養子にすることだけは了承しなかった。
    うちには子供がいなかったから、子育てについて戸惑うことも多くて
    どう対応していいのか分からない時もあったけど
    婆と爺の双方の両親も孫として接してくれたし、
    友人たちも協力してくれたし、色々教えてもらいながら頑張って育てた。
    でも普段明るくて良い子なのが、時々暗い目になることがあって
    それがすごく気になったりもしたわ。
    一年も一緒に暮らすと、もう我が子にしか思えなくなって可愛くて可愛くて
    いつか母親が迎えにくるかも知れないと思うと不安で震えることもあった。
    で、息子(と書かせてね)が高2の時に転換期があったのよ。
    ある日息子が「卒業したら就職する」って。
    それに対して爺は「学力は十分あるんだから大学は行った方がいい。
    行きなさい。お金の心配は要らないから」って言ったんだ。
    お金の心配してるのは黙ってても分かったから。
    もっと早く言ってあげたら良かったと反省したわ。
    こっちは我が子として育ててるつもりだったから学費は用意してたの。
    そしてこの時に息子が思いのたけを話してくれたのよね。

    子供の頃、父親と一緒にうちに遊びに来てたころ
    お母さん(婆)が作ってくれるごはんが美味しくて
    いつもこんなの食べられたらいいなぁって思ってた。
    そしたらお父さんがタヒんじゃって、お母さんに捨てられて
    罰が当たったってずっと思ってた。
    中学の時に新しい家(婆たちのマイホーム。それまでアパート暮らしだった)が建った時
    僕の部屋があって嬉しくて泣いた。
    ちゃんと僕を息子だと思ってくれたんだって。
    でも大学に行きたいってのはどうしても言えなかったって。
    奨学金を借りてってことも考えたけど、自分みたいな境遇が
    ちゃんと就職できるかどうかも分からないし、
    払えなくなったら婆たちに迷惑掛けるしと思ってたって。

    617 :なごみ 2011/05/17(火) 01:24:02 ID:0eeM13Rh0
    559 名前:ローカルルール変更議論中@VIP+[] 投稿日:2009/06/16(火) 20:52:05.49 ID:Q3nupJSⱮO

    もう10年も前の話
    妻が他界して1年がたった頃、当時8歳の娘と3歳の息子がいた。
    妻がいなくなったことをまだ理解できないでいる息子に対して、私はどう接してやればいいのか、
    父親としての不甲斐なさに悩まされていた。
    実際私も、妻の面影を追う毎日であった。
    寂しさが家中を包み込んでいるようだった。
    そんな時、私は仕事の都合で家を空けることになり、実家の母にしばらくきてもらうことになった。
    出張中、何度も自宅へ電話をかけ、子供たちの声を聞いた。
    2人を安心させるつもりだったが、心安らぐのは私のほうだった気がする。

    そんな矢先、息子の通っている幼稚園の運動会があった。
    “ママとおどろう”だったか、そんなタイトルのプログラムがあり、園児と母親が手をつなぎ、
    輪になってお遊戯をするような内容だった。
    こんなときにそんなプログラムを組むなんて・・・

    462 :名無しさん@おーぷん 2015/06/04(木) 10:27:54 ID:k9H
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    記念に書き留めておきたくなったのでカキコ。長文・自分語り注意。4乚ス投稿します。

    ついこの前、披露宴をした。入籍は去年だったけど、いろいろあって先日披露宴だった。

    私の母は微毒親で、心に余裕のない人だった。私たち兄弟が何か失敗をすると、「大丈夫?」という言葉よりも、真っ先に「ああもう!」「間抜け!」「ちゃんとしてないから!」というきつい言葉が飛んできていた。
    そういった母を中心とした家庭は、裕福ではあるけれど、精神的な豊かさのないものだった。
    人に優しくしたいとか、穏やかでありたいと思うものの、やっぱりそういう環境で育ってきたから、気を付けていても結局私の思考回路は母とおんなじ。トラブルに直面したとき、カッとなって自分のことしか考えられなかったり、相手を詰ったりしていた。
    大人になって本音と建て前というものを覚えたけど、忄生根は変えられなかった。

    1 :名無しさん@おーぷん 2016/07/26(火) 21:33:51 ID:6Kk
    色々懐かしくなったので聞いてくれ
    というかヤンキーってイイ人もいることを聞かせたい

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