鬼女のつぶやき〜2ch鬼女・キチママ・生活まとめ〜

主に2ちゃんねるの鬼女関連のスレッドをまとめています。修羅場、恋愛・結婚、育児関連の記事が多めです。

    感動

    427 :名無しの心子知らず 2013/07/02(火) 06:31:27 ID:/fo82kMt
    非常識っていうか子供の学習能力の高さに変に感動してしまった。

    今日松屋に牛丼食いに行ったらある一家(父、母、0才子、1才子、3才子)が来店した。
    別にDQNとかではなく店員さんにも丁寧に対応していた。
    ただ、奥さんが1才子の面倒に付きっきりになって話を聞いてないと、旦那さんは奥さんを蹴っていた。それに大分引いた。
    そんな家族の食事での会話を聞いていて子供の学習能力の高さに感動してしまった。

    557 :なごみ(アラバマ州) 2008/09/11(木) 06:51:48 ID:NnxyyrUE0
    朝から部屋掃除してたら昔貰った手紙見つけて、懐かしさに和んだので。長文失礼

    小学生の頃の話。
    昼休み、友達みんな集まって体育館でバスケとかしてるのに、俺はいつも図書室で本を読んでた。
    図書委員の仕事は放課後だけなので、俺以外誰もいない図書室は静かだった。
    けど、ある日校長先生が図書室にやってきた。
    度入りサングラスかけた強面だけど優しくておっとりとした口調の校長先生。
    校長先生は休み時間中に教室巡回して生徒のことを色々見ていたらしい。
    今まで俺の読書の邪魔をしちゃダメだと思ってそっとしておいたんだけど、
    俺が友達と遊んでる姿をあんまり見ないから心配になって声をかけたんだって。
    何故そうなったかはわすれたけど、それから俺は昼休みに図書室で校長先生のお話しを聞くのが日課になった。
    昼休み以外でも会いたくて、朝の会前や放課後に校長室にお邪魔したことも何度かあった。

    校長先生は自分の昔話とか、礼儀作法とか、国語算数理科社会の勉強など、ジャンルを問わず色々話してくれた。
    俺のした質問にもわかりやすく答えてくれた。
    「知ること」が好きな俺は、校長先生とお話しできる昼休みの時間が大好きだった。

    でも、小4のとき校長先生が転勤になった。
    お別れ会の時に便箋10枚分の手紙を渡したら、校長先生も俺に分厚い手紙をくれた。
    手紙の最後の方に「これからは校長先生じゃなくて、友達とたくさんお話しするんだよ」と書いてあった。
    読んだその日は一日中泣きまくった。
    手紙に校長先生がいつもふかしてたパイプの甘い匂いがついてて、寂しくなってさらに泣いた。
    でもそれからの俺は図書室に行く回数減らしてみんなと遊ぶようになった。

    俺が中3になった頃、校長は母さんが勤めてる幼稚園に園長として帰ってきた。
    家族ぐるみで校長先生夫妻と交流するようになった。
    一緒に庭で焼き肉とか、家に遊びに行ったときはトランプや麻雀やったりして楽しかった。昔みたいに色々お話もした。

    現在、ベタだけどこの一連の出来事がきっかけで俺は教師になった。
    校長先生は園長を辞めて実家の隣町に住んでいる。
    今度実家帰ったとき久しぶりに会いに行ってみようかと思う。

    419 :Ms.名無しさん 2018/06/13(水) 23:00:02 0.net
    今日セルフのガソリンスタンドで洗車機通そうと思ったら店員さんにコンコンって窓叩かれたのよ
    何かと思ったら「赤ちゃん洗車機泣きませんか?良かったら洗車機通しますので店内でゆっくりされて下さい」って言ってくれたわ
    きゃわめっちゃ泣くから助かったのよ

    1 :それでも動く名無し 2023/02/06(月) 19:02:44 ID:iTMXh5Wd0.net
    説明「水もいらないぞ」

    ワイ「は?」

    説明「蓋もいらないぞ」

    ワイ「w?ww」

    761 :おさかなくわえた名無しさん@\(^o^)/ 2016/11/20(日) 14:29:50 ID:i5ZrWkOA.net
    ながーーーいので分けます。
    長文嫌いの方はスルーでお願いします。

    来年、結婚が決まった。
    昨日、母の再婚相手で私が高校生のころから一緒に暮らしてる養父と二人でコタツで飲んだ。

    養父のことは大好き。
    母を大事にしてくれるし、いきなりできた女子高生の私を本当に気遣いながら大事にしてくれた。

    本当の父親は所謂モラ八ラで、母が泣くまでやり込めるような人で、父親は私が小2の時に女を連れてきて「来月からこいつとここで住むから今月中に出て行け」と言って本当に追い出された。

    母方の祖父は障碍があってあまり実家を頼れず、本当に貧乏で育ちました。
    お風呂も毎日入れない、制服もおさがりのみ、1つの袋麺を母と二人で分けて食べる夕食も普通、靴下も穴を縫って履き潰した。

    高1の時に母が仕事先の社員さんに結婚を前提に付き合ってほしいと言われたので会ってほしいと言われた。その時は母が幸せになれるとかじゃなく、この貧乏から脱出できる!と思った。

    それから養父のマンションに二人で引っ越した。
    一人部屋を与えられて嬉しくて仕方なかった。
    高校2年にして新しい制服、ローファー、初めて携帯も買ってもらった。
    バイトもやめて大学にも行きなさいと言ってくれた。
    特別お金持ちではないんだろうけど大金持ちになった気分だった。

    浮かれた生活が続いたある日、家族みんなで朝寝坊をした。
    バタバタとみんなで準備してて、母が養父の仕事行く用意してる時、養父は母に一つ一つ「ありがとう」と言ってた笑っていた。
    ネクタイを手渡しては「ありがとう」朝ごはんがわりのおにぎり握ってる母を見ては「ありがとう」と。

    その光景を見た時になぜか涙がどばどば出てきた。
    なんて優しい人なんだろう。お母さん幸せそうだな。好きな人に尽くしてるお母さんかわいいな。
    そう思うと涙が止まらなかった。

    養父は突然泣き出した私を見てあたふたして「大丈夫だよ!!急げばまだ間に合うから!一緒に駅まで走ろう!!」と、私が遅刻しそうだから泣いてると感違いしたみたいでしたが、その養父の慌てっぷりがまた嬉しくて涙が出てきました。

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