泣いた…。

    701 :名無しさん@おーぷん 2019/08/28(水) 23:59:25 ID:Pq.2t.L1
    昔の思い出を書き捨てる。

    私が小5の頃、全校生徒合わせても200人ほどの小学校に、金管バンドができた。
    私はピアノも習ったことがないし楽譜も読めないし吹奏楽部は毎回昼休みに集まって練習、発表前は放課後も練習と聞いて、
    参加者(楽器を扱える小4以上)の募集がかかった際は応募する気が一切無かった。
    だけどクラスの女子は私を除いて全員ピアノを習っていたし、私の友達3人が応募すると言っていて、私が応募しないと言ったら、
    「じゃあキミちゃんとはもう遊べないね!だってバンドやらないんでしょ!バイバイ!」と言われた。
    しかもクラスの他の女子12人もみんな応募すると言っていて、応募しなければイジメにも繋がりかねないと思った。
    募集締め切りの日、応募者は音楽室に集まるんだけど、友達からは「ピアノもした事無い癖になんできたの」と冷たく言われた。
    そのうえ応募者による人気の楽器の取り合いがはじまり、私はコルネットかトロンボーンに興味があったけど、
    「楽譜読めない子が上手く吹けるわけ無いんだから人気の楽器に来ないで」と言われて、
    誰にも見向きもされなかったユーフォニュームを押し付けられた。他の楽器がいいといえば「楽譜読めないくせに」と言われた。
    音出ししてみると、ユーフォの音は太くて重くて存在感があって、ユーフォの役割はよくわからなかったけど楽しかった。
    そうして流されるままに始まった金管バンドだけど、私をバカにした友達は目的の楽器になれなかったことで不贞腐れたり、
    高価な楽器を大切にしない態度や不真面目な練習態度を指導者の教頭先生に叱られたりして、楽譜を渡される前に辞めてしまった。
    友達じゃなかった人や他の学年も、練習が面倒だとか思っていたのと違うからと、あっという間にやめていった人が多かった。
    残ったのは真面目にバンドをしたいと思った半数ほどで、私はその子たちに混じって卒業まで真面目に取り組んでいた。
    年間2曲しか練習しないけど、楽譜が読めない分私は曲を覚えてから音を出せるように練習する方法しかできなくて、
    練習時間の短い小学生の頃は練習効率も悪くて、正直言ってかなり下手だったと思う。

    中学校は吹奏楽部の強豪校として有名なところだった。
    私は部活紹介で聴いた演奏に圧倒されて、特にユーフォのソロがある曲で男忄生の先輩が前に出て立奏している姿に感動した。
    入部届提出期間に吹奏楽部の顧問のところへソロ演奏の話を質問へ行ったところ、
    ソロの部分は一番腕のいい人に担当してもらって見せ場を盛り上げるのだと教えられた。
    「私も入部して頑張ればチャンスはありますか」と聞いたら、もちろんあると言ってもらえた。
    それからは勉強と両立しながら、とっても頑張って練習した。
    家がマンションだったので自宅練習ができない分、土日にご近所さんの敷地の山の中で練習させてもらったりしていた。
    たった一人のユーフォの3年の人が不真面目だったこともあって、2年生の春には顧問に「あなたの演奏が一番安定してる」と言ってもらえた。
    そしてコンクールのユーフォのソロ奏者を決めるとき、部長も先輩も同級生ですら4人の中から私を推薦してくれた。
    他のソロパートは推薦で決めていたのに、ユーフォだけは顧問が独断で決めて、それが部活サボり常連の先輩だった。
    先輩は一度も合わせの練習に来ていなかったから、そのときまだ通しで吹いたこともなくて、明らかに練習量が足りなかった。
    顧問は「選ばれたんだから真面目に練習しなさい、せめてソロの部分だけでもいいから」と言っていた。
    誰より怒ってくれたのは部長と真面目に練習して部活をまとめてくれてた先輩たちだった。
    私も人選に納得できなくて職員室でまで訪ねに行ったら、先に部長たちが職員室の隣の応接室で顧問に詰め寄っている声が聞こえてきた。
    顧問は応接室のすぐ外に私がいたことに気づかずこう言った。
    「やっぱり華やかさも大会では大切になってくるし、それには人にどう見られるかも戦略として先生は考えなきゃいけない。
    あの子は体が一番小さいし、それに、ほら」と、何かを小声で言ったけど、扉を隔ていた私には聞こえなかった。
    だけど先輩がすぐに「キミちゃんのやけどは関係ない!」と言ったことで、何を言われたのかを理解した。

    115 :名無しさん@おーぷん 2016/03/20(日) 11:54:45 ID:OCr
    長いけど、ようやく落ち着いたので。あと上の人のが流れますよう。
    私も会社の同僚も30代前半。
    私はバツイチ子持ちで、子供は小学校高学年、離婚後7年くらい。
    離婚原因は、元旦那の浮氣で、特に旦那親の介護中に浮氣相手が妊娠したことで別れた。
    同僚は独身で結婚歴なし。告白されたけど子供のこともあるしと断り、それでも数年にわたって何度か告白されていた。
    デートする時間あるなら子供と過ごしたいし、恋愛はもういいかなと思っていたけど、数年経って子供が大きくなって私が休みの日でも友達と遊びに行ったり、
    母ちゃん好きな人いないの?俺父ちゃんができたら嬉しいなとか言いだしたりして、ちょっと同僚とのことを前向きに考え始めていた。
    そんなある土曜日、子供は出かけたので、昼間に同僚と会った。
    楽しく過ごし、夕方ごろ息子から今日婆ちゃんちとんかつだから泊まる、明日は婆ちゃんちの棚を直したり電球替えたりしてから爺ちゃんと出かけるから夕方帰るとメールが来た。
    近距離別居の実母がいて、離婚後から出張の時とか仕事で遅くなる時はよく預かってもらってたんだけど、同僚との事に気づいているのかいないのか、あんたいい人いないのとか言いながら、息子の好きなメニューを出したり用事を言いつけては泊めてもらうことも増えていた。
    同僚にそのことを話すか迷いながら、そろそろ夕飯の支度?と気遣う彼に、今日は平気だから夜ご飯一緒に食べようよとだけ誘って、しばらくデートした。
    そしたら同僚が夜ご飯の時、指輪を出してきて、プロポーズされた。
    嬉しい、でも私1人では答えが出せないから今度息子に会って欲しいと返事をして、初めてのお泊まり。
    正直、息子との生活は幸せだったけど大変なことも多かったから、本当に嬉しかった。
    何年も告白し続けてくれて、息子のことも気遣ってくれる優しい同僚だったし、息子にもお父さんができるかもしれないと嬉しかった。
    その後、次の週に息子と同僚初対面。同僚は小学生男子が好きそうなものを調べてきていて、一緒にサッカーもして、うまくいったように見えた。
    帰宅後、息子が今日のおじさん面白かった、また遊びたい、もしかして彼氏?彼氏だったら嬉しいなぁというのを聞いて、中学入学前までに名字が変えられたらいいなと前向きに考えていた。


    462 :名無しさん@おーぷん 2020/01/08(水) 10:59:38 ID:ky.hf.L1
    突然の書き込み失礼致します。
    誰かに自分の話を聞いてもらいたい、誰かに何かを話したいと娘に言ってみたところ、この掲示板を教えてもらいました。
    若い人たちばかりでしたら、お邪魔して大変申し訳ないです。
    私は還暦を過ぎた年寄で、身近な友人は病でなくなったり、皆孫の世話やら親の介護やら身の回りのことで忙しく、
    なかなか会って話をする機会がないために、誰かに聞いて頂きたいのです。

    この度、私は1月末をもって長年勤め上げた会社を定年退職するのですが、
    定年後の夢として、キャンピングカーで自由気ままに全国津々浦々を旅していたいと思っていました。
    兼業農家でもある私は、今までの人生働き詰めでした。
    子供を産んだからには、と二人の娘は借金なしに大学まで上げましたし、二人ともなかなか良い企業に入社してくれ、
    去年でついに二人とも私のもとを離れました。
    一人は婿をとってくれ、孫にも囲まれ楽しく過ごしています。
    つらく大変なことが多い人生でしたが、今はこれで良かったと心底思える生活を送っています。
    山奥の農家の長男で、男一人。口下手な性格や決して二枚目ではないことも災いして嫁に来てくれる人はおらず、
    仕事から帰れば親に泣かれて責められる日々を随分と過ごしました。
    周りの友人は皆結婚をし、子供が産まれるなかで卑屈に30歳半ばまで過ごしましたが、なんとか縁あって結婚し、今に至ります。
    友人連中が「どうだ羨ましいだろう」と飲み屋に子供を連れてくる姿を見て、笑いながら腹の底では悔しくて仕方なかったのは今でもはっきり覚えています。

    そんな私でしたが、正月に末の娘が連絡も無しに実家に帰ってきました。
    ハイエースに乗ってきた娘に驚いて、前の軽はどうしたのか、ぶつけたのかと聞くと、
    「これは父さんのだよ。今まで仕事ご苦労様でした」と言って、後ろの座席を開けてくれました。
    そこにはベッドと台所が備え付けられていて、居住するには十分でした。
    話を聞くと、二人の娘夫婦で金を出し合い中古のハイエースを購入し、最近流行りの工作が得意な末の娘と車の整備士である娘の夫が
    キャンピングカー風に改造してくれたというのです。
    自分の老後の夢を覚えていてくれたという驚きと、あまりの感動にうまい言葉が出ず、
    いやあ、いいなこれ。ありがとう。と言うのが精一杯でした。

    夜、皆が眠った後に妻と晩酌をしみっともなく泣きました。
    妻は始終そんな私を見て、腹を抱えて大笑いをし、危うく子供らに泣いてる姿を見られるところでした。
    昨今、私なぞは高齢ドライバーと呼ばれる年齢になりますが、早くこのハイエースに乗って旅に出たいと気持ちが逸るばかりです。
    子供が上京したまま帰ってこない、子供が結婚しないので孫の顔が見れないと嘆く、
    かつて私に子供を自慢した友人たちには到底言えませんが、本当に自分は今が幸せだと心から叫びたい。

    346 :1/2 2009/02/26(木) 18:56:41 ID:YW9GoYlg
    長いです。

    昨日母とバスに乗った時の話。
    母は障/害者で足が悪いので普段は叔父に運転してもらって出掛けるんだが(自分は免許持ってない)、
    今日はちょっと遠くのショッピングモールに長時間の用事があって叔父も出掛けてたので、バスで行き帰りする事にした。

    帰りのバスがちょうど学生達の帰宅ラッシュとダブってしまって、めちゃめちゃ混んでいた。
    座席は全部埋まってて、優先席には茶髪、ミニスカ、ガッチリ化粧睫毛バサバサな女子高生二人が座ってた。
    うわー…と思いつつ、体に負担がかかるから母を立ちっぱなしにさせるのは嫌で、
    とりあえず女子高生に「足が悪いから席を譲ってくれないか」って話しかけた。
    そしたらその女子高生、

    「はぁ?なんであたし達が席譲んないといけないわけ?」

    とかぬかしやがった。
    ムカついたが母に障/害者手帳を出させて、それを女子高生達に見せて「貴方達が座ってるのは優先席だから」と言った。
    そしたらやっと席を立ってくれたので(ブツブツ言いながらだったけど)、「ありがとうございます」って言って窮屈な思いをさせないように母は座らせて自分は立ちっぱ。
    女子高生二人ももちろん立ちっぱなしな形になるし、悪い事したなぁと思った矢先、二人が仰天発言連発。
    少し離れた位置で吊り革に捕まりながら、こっちに聞こえるデカイ声で

    「あーあーダリィ~」
    「つか、障/害とか関係無くね?」
    「だよねー!先に座ってた奴の勝ちじゃん!」(意味わからん)

    まぁここまではギリギリ我慢出来た。

    115 :名無しさん@おーぷん 2018/11/06(火) 08:49:46 ID:AxR
    娘が結婚したの。
    娘と言ってもね、婆とは血が繋がってないのよ。
    娘が4歳の時、婆がママになったの。(本当の母親は1歳になる前に他界したのよ)

    爺は子供がいることで婆との結婚になかなか踏み切れなかったみたいなのね。
    婆はそんなの関係なく爺と結婚したかったのだけど。
    ある時婆と爺と娘とで買い物に出掛けた時に、爺が急用で30分ぐらい会社に行ったの。
    その間娘と一緒に本屋さんで時間潰したんだけど、とっても良い子だったから
    「一番欲しいの選んでいいよ。お姉さんがプレゼントする」って言ったのね。
    そしたら俯いて婆の手をギュッと握ってプルプル震えてるの。
    「遠慮しなくていいよ?選んでいいよ?」って言ったら更にギュッと握ってきたの。
    ちょっと出過ぎたことしちゃったかなーと思いながら、そうこうしてるうちに爺が戻ってきて。
    娘の様子がおかしいと気付いてどうしたの?って聞かれて、そのことを話してたら
    今度はしゃくりあげて泣き出したのよー。
    その日はそれでお別れして、婆すごく落ち込んだわ。
    あー娘に嫌われちゃったらもうダメかもーって。
    そしたらその日の夜に爺が「ちょっとだけ出られる?」って電話掛けてきて
    近くの公園で話したのね。
    そしたら娘が“一番欲しいの”は婆だったのよ。婆にママになってほしかったんだって。
    でも言葉にできなくて、気付いてもらえなくて、悲しくて泣いたんだって。
    それ聞いて婆の涙腺は破壊されたわ。そしてプロポーズされて結婚したの。

    式の間中その時のこと思い出して、涙が止まらなかったわよ。
    ずっとずっと良い子だったわ。妹のこともとっても可愛がってくれて一生懸命面倒見てくれて。
    ああ、あの時本屋さんで気付かなかった鈍い婆の代わりに、ちゃんと爺に気持ちを伝えてくれて良かった。
    おかげで爺と夫婦になれて、ふたりの娘の母親になれた。
    ありがとうと崖から叫びたいわ。

    このページのトップヘ