鬼女のつぶやき〜2ch鬼女・キチママ・生活まとめ〜

主に2ちゃんねるの鬼女関連のスレッドをまとめています。修羅場、恋愛・結婚、育児関連の記事が多めです。

    毒親

    264 :名無しさん@おーぷん 2014/11/11(火) 19:55:56 ID:WVRA3rbom
    20年経っても引きずってる、子供の頃の修羅場。

    893からも爪弾きにされるようなクズの継父に
    無理やり水商売をさせられてた母親が、私の目の前で刺された。
    理由は『男とイチャイチャしてたから』
    水商売だから当たり前じゃん・・・と、子供でもわかる因果なのに
    覚せ◯剤とアル中で脳みそが海綿体になってた継父には青天の霹靂だったらしい。

    昔取った杵柄というか、人を刺し慣れているらしい継父は
    肋骨の下から突き上げるように母を刺し、包丁を抜くと床に投げ捨てて
    呻く母を罵りながら、殴る蹴るの暴行を加えた。
    私は身を挺して母を守り、継父を威嚇して追い出す事に成功。
    「警察も救急車も呼ぶな」という母に肩を貸して、徒歩で近くの病院に連れて行った。

    なんとか一命は取り留めた母だったが、片肺が二分の一になってしまった。
    入院費も無いので無理やり退院させられ、逃げる気力も無くした母はその後も水商売を続けた。
    継父は日を追う毎に脳がグズグズになって、現実と妄想の区別がつかなくなったようで
    一年も経たず、また包丁を持ち出して母を刺そうとした。
    幸い、刺される前に事に気づけた私は、母を守りたい一身で立ち塞がった。
    さすがに子供は刺せなかったのか、火のついた煙草やライターを投げつけた後にどこかへ逃げた。

    呆然としながら母と抱き合い、そのまま、店にあるお金と衣類を持って母と二人で夜逃げした。
    とはいえ何も無いので、私は伯父の家(三重)に預けられ、母は祖母の家(宮崎)に身を寄せた。
    夜逃げして二週間、継父は生活苦であっさり自杀殳。無縁仏として処理して貰った。
    もう、逃げなくていいんだという開放感で、特に問題無く過ごしたと思う。

    その後、母は迎えに来てくれたが、三日ほど一緒にいただけで
    新しい恋人の仕事に付き添うと言う理由で、母は一人で東京へ行ってしまった。
    知らない土地で、私は一人ぼっちになった。
    ある日、風邪を引いて4日熱が下がらず、助けを求める為に母に電話しようとしたら、電話が止まっていた。
    這うように電話ボックスへ行き、母の携帯に電話をしても「ごめんね。帰れない」ばかり。
    あまりにも酷い仕打ちに泣きながら暴言を吐いたら、母は悲しげな声で
    「子供とは一生一緒にいる訳じゃない。私には私の人生がある」と言われ、一方的に電話を切られた。

    それから先は覚えてない。ノイローゼになったのは確かだけど。
    結局、私は誰の為に母を守ったんだろうか。あの人は、あの時、タヒんどくべきだったのか。
    未だに色々考えては、答えも出せずに、発狂するのを堪えてる。

    3 :名無しさん@おーぷん 2018/07/31(火) 19:56:15 ID:Pyg
    >>1乙

    フィーダーの母親に育てられ、「食べ物を残す」ができなかった。
    食後のげっぷで食べたものが出てくるほどの食事量だった。
    量を減らしてほしいと言うと食材をシンクに叩きつけて怒鳴られた。

    ある時友達と電話しながら、
    「おやつにポテチ食べたいけどビッグサイズしかない。食べると夕飯が入らない」と漏らしたとき
    「少し食べて残せばいいじゃん」と言われたときスレタイ。

    また、食事=満腹のイメージがついていた。
    同棲を始めた彼氏に「量が多い。いつもお腹いっぱいになる」と言われるも、
    「完食してくれてるし、減らしたらお腹いっぱいにならないでしょ?」と当たり前のように返すと
    「お腹いっぱいにしなくていい。満腹じゃない=足りてないって考え方は変」と言われてスレタイ。

    そして、実家では食事中の水分はコップ一杯までと決められていた。
    カレーが辛くても、パンなどで口の水分が減ってもコップ一杯だけ。
    理由は水っ腹になると完食できないから。
    だから今でも食事中に水分をほとんどとらない。
    飲み会でいつも二次会から急に飲酒ペースがあがることを指摘され、
    上の話をしたらおかしいと言われてスレタイ。

    156 :名無しさん@おーぷん 2015/01/20(火) 18:45:06 ID:dIh
    もう10数年前だが、祖母が新聞紙に包まれてた重い何かを私に渡して、
    「絶対みんなにバレないようにあなたが隠して持ってなさい。私がタヒんだらそれを持ってこの家
    を出なさい。必ず大事に使いなさい、この家にもう戻ってはいけないよ」と言った。

    この時私は高校出て、家事と寝たきりの祖母の介護をしてた。夜の介護も私なので同室。
    大学は「馬鹿だから行くな」と親に言われた。
    子供の頃から塾に通っていい大学に行った兄に比べれば、私は塾も習い事も行ったことない
    馬鹿なので、しょうがないなと思ってた。
    兄の習い事での表彰状が家じゅうに貼ってあった。羨ましかったけど、「お前には引っくり返っても
    貰えないよ」と祖母以外のみんなに言われて育ってたので、そうなんだなと思った。

    祖母は「○○ちゃん(私)だって賢い子だよ」と言ってくれたが、家の中で病気がちな祖母の発言は弱かった。
    家は会社人間の父と、趣味と社交に没頭する母、出来る兄と、奴隷要員の私と、ガンの手術と再発を繰り返
    してる祖母の5人暮らしだった。

    祖母は冒頭の会話の二年後、最後のガン手術から結局回復しないまま心不全で他界した。
    祖母の部屋からは手術前に残した手紙が見つかって、
    「数年前○○会社の○○と名乗る男性のつまらない投資詐欺に騙されて、お父さん(祖父)から相続
    した貯金をほとんど無くしてしまいました。恥ずかしくて今まで隠してました。ごめんね」
    という内容だった。

    両親と兄は「介護までしたのに!恩知らずのババアが!!」と大激怒。
    私はただ泣いていた。

    祖母の介護がなくなったので、私は家を出ることにした。
    両親は「家事はどうするんだ」と怒ってたけど、結局は「高卒出のバイト暮らしなんて、
    すぐ立ち行かなくなるぞ」「週末は家事しに戻ってこい」と言って送り出してくれた。

    それが両親の顔を見た最後。兄の顔見た最後はいつだったか。全然思いだせない。
    祖母から預かった新聞紙の包みの中身は知ってた。
    アパート借りる保証人になってもらう時親に見せた住所は偽物。
    遅くなったけど専門学校に入り資格を取り就職、その後縁あって結婚も出来た。

    祖母のお金は入学金とバイトが見つかるまでの生活費にしか使わず、結局まだほとんどが金庫に
    残っている。
    これがあれば何も怖くないよと、いつも祖母が背中を押してくれてるような気がしてる。

    贈与税とか色々ダーティーなお金なのでスレタイ。

    842 :名無しさん@おーぷん 2015/02/03(火) 11:28:11 ID:WkR
    俺は子供の頃から重度の鼻炎で、どこへ行くにも薬が手放せず
    鼻炎薬を持っていくのを忘れると出先でパニック起こすくらい薬に依存していた。
    大学は地元国立が第一志望だったが落ちて、隣県の国立に行った。
    そしたら鼻炎が治ってしまった。
    今でもちょっと鼻づまりはするけど前みたいな鼻水じゅるじゅるじゃない。
    女の子にも嫌われなくなって、彼女ができた。
    でも正月に実家へ帰省したら、また鼻炎が再発した。
    アパートに戻ると治る。盆に帰省するとまた(ry

    358 :名無しさん@HOME 2012/08/24(金) 15:19:35 0
    小さい頃、大体母が原因で両親が大喧嘩していた。
    で、その日は特にひどくて
    「だから○○(私)は馬鹿なんだ!」
    と母が叫んだのが聞こえてきた。
    人の事を馬鹿か屑、のろまとしか言えない母。
    喧嘩だけでもこっちは泣きそうなのに自分の名前を出されてもう涙腺崩壊。
    そこに姉がすくっと立ち上がって両親に言った言葉がまた…。
    「ねぇ、-×-は+だよね。-×+は-。どう考えても母さんが-でしょ?じゃあ+が生まれるわけないじゃん
    頭良い子が欲しいんなら父さんが+の人を改めて探すか、母さんが-の人を改めて探すしかないよね。
    ま、母さんと新しいお父さんの所に生まれた子は悲惨だろうけど、だって-同士じゃん。あ、でも反面教師としては最高か」
    と言った。
    私も両親も唖然として空気が固まったのを覚えている。
    あの後姉は父に平謝り。母にも最終的には謝っていた。

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