【結果オーライ】過干渉のウトメに孫を催促され、夫「子供を産まないと俺の家族に入ったことにならないんだ」と離婚届を出され、結婚3年目で疲れて離婚→去年、秋に再婚したら…
837 :名無しさん@HOME 2011/03/09(水) 14:27:55 O
流れ切ってしまうけど
今すごい嬉しい幸せ!
午前中に産科に行ってきた!赤が来てくれてた!タヒぬほど嬉しい
前の結婚では、超近距離別居で過干渉の元ウトメには常に孫を催促されていたけど音沙汰なし
3年目に「親父とお袋に孫をみせてやりたいんだ」と、頭を下げられて緑の神を差し出され悲しいやら悔しいやら泣きながら
「子供いないとダメ?仲良く生きていけないの?」って訴えても
「親父とお袋が」とか「子供を産まないと俺の家族に入ったことにならないんだ」とか義実家がらみになると、もう全然話し合いにならなかった
確かに妊娠しにくい体質と診断されたけど、希望がないわけではなかったのに
ウトメも交えた話し合いの席では、私と対面する形で旦那とウトメが並んで座ってた
完全に私が敵だったんだね
段々疲れてちゃってもうこの人いらんわと判を突いた
去年秋に再婚して二人の生活楽しー、と思ってたらあっさり妊娠したよ
きっと三人になっても楽しいんだろうな
受診後旦那に電話したらすごい喜んでて「これから家事は全部俺がする!」そうですw
今、なんかすごい興奮状態
なんなんだろこの感覚、自分が自分一人じゃないって
じっとしていられなくて無駄に動いてしまうw
今すごい嬉しい幸せ!
午前中に産科に行ってきた!赤が来てくれてた!タヒぬほど嬉しい
前の結婚では、超近距離別居で過干渉の元ウトメには常に孫を催促されていたけど音沙汰なし
3年目に「親父とお袋に孫をみせてやりたいんだ」と、頭を下げられて緑の神を差し出され悲しいやら悔しいやら泣きながら
「子供いないとダメ?仲良く生きていけないの?」って訴えても
「親父とお袋が」とか「子供を産まないと俺の家族に入ったことにならないんだ」とか義実家がらみになると、もう全然話し合いにならなかった
確かに妊娠しにくい体質と診断されたけど、希望がないわけではなかったのに
ウトメも交えた話し合いの席では、私と対面する形で旦那とウトメが並んで座ってた
完全に私が敵だったんだね
段々疲れてちゃってもうこの人いらんわと判を突いた
去年秋に再婚して二人の生活楽しー、と思ってたらあっさり妊娠したよ
きっと三人になっても楽しいんだろうな
受診後旦那に電話したらすごい喜んでて「これから家事は全部俺がする!」そうですw
今、なんかすごい興奮状態
なんなんだろこの感覚、自分が自分一人じゃないって
じっとしていられなくて無駄に動いてしまうw
幼稚園の頃、近所の友達と家の前で遊んでたら、50~60ぐらいの男「元気いいなあ。10年後うちにお嫁に来るか」友達「その頃にはお墓なんじゃないかな」→次の瞬間、男が友達を…
859 :名無しさん@おーぷん 2015/08/10(月) 11:36:22 ID:btN
幼稚園児の頃、近所の子(全員女)と家の前で遊んでいると、男性が寄ってきて
「元気いいなあ。10年後うちにお嫁に来るか」と言った。
今思えば50代前半~60くらいだったんだろうけど、子供の目にはずいぶんお年寄りに見えた。
仲間の中で一番気の強い子が「うちらが結婚できる頃はお墓に入ってるんじゃないか」みたいなことを言った。
そしたら男性がその子を思いっきりグーパン。毆られた子は文字通り吹っ飛んでいった。
上記のやりとりは後から聞かされた情報で補完されているけど、
その子が吹っ飛んでいった光景は今も鮮明に覚えている。ものすごく怖かった。
幼稚園児を毆ったということでもちろん大騒ぎになったが
男性と男性の母親が「そっちの子が無礼なのが悪い」と頑として謝らなかった。
結局毆られた子の親が「逃げるが勝ち」と引っ越してしまい、騒動は終わった。
私は親に「あそこの家の息子さんとお母さんが話しかけてきたら、すぐ家に入りなさい」と何度も言い聞かされた。
5年くらいして、その男性の母親が「うちの子が結婚する」と近所中に触れ回っていた。
若いお嫁さんだそうで「選んだ甲斐があった」「うちは地主だから子供の生めない年増はだめ、若いのでないと」
と毎日のように言って回っていた。
半年くらいして、そのお嫁さんが来た。小学校高学年の私の目にも明らかな、知的障碍のある女性だった…
結局その女性は「家のことが何もできない」っていびられて、結婚生活は一年もたなかった。
いつの間にかいなくなっていた。
でも一番衝撃だったのはそのお嫁さん(20か21だった)を「若いな、いいな!」って
本気で羨ましがっているお父さん達が近所に数人いたことと、その中にうちの父もいたこと。
「肌が違うな!」ってセリフが子供心に気持ち悪かった。
「元気いいなあ。10年後うちにお嫁に来るか」と言った。
今思えば50代前半~60くらいだったんだろうけど、子供の目にはずいぶんお年寄りに見えた。
仲間の中で一番気の強い子が「うちらが結婚できる頃はお墓に入ってるんじゃないか」みたいなことを言った。
そしたら男性がその子を思いっきりグーパン。毆られた子は文字通り吹っ飛んでいった。
上記のやりとりは後から聞かされた情報で補完されているけど、
その子が吹っ飛んでいった光景は今も鮮明に覚えている。ものすごく怖かった。
幼稚園児を毆ったということでもちろん大騒ぎになったが
男性と男性の母親が「そっちの子が無礼なのが悪い」と頑として謝らなかった。
結局毆られた子の親が「逃げるが勝ち」と引っ越してしまい、騒動は終わった。
私は親に「あそこの家の息子さんとお母さんが話しかけてきたら、すぐ家に入りなさい」と何度も言い聞かされた。
5年くらいして、その男性の母親が「うちの子が結婚する」と近所中に触れ回っていた。
若いお嫁さんだそうで「選んだ甲斐があった」「うちは地主だから子供の生めない年増はだめ、若いのでないと」
と毎日のように言って回っていた。
半年くらいして、そのお嫁さんが来た。小学校高学年の私の目にも明らかな、知的障碍のある女性だった…
結局その女性は「家のことが何もできない」っていびられて、結婚生活は一年もたなかった。
いつの間にかいなくなっていた。
でも一番衝撃だったのはそのお嫁さん(20か21だった)を「若いな、いいな!」って
本気で羨ましがっているお父さん達が近所に数人いたことと、その中にうちの父もいたこと。
「肌が違うな!」ってセリフが子供心に気持ち悪かった。
嫁に嵌められたのかも知れないわ。嫁が妊娠したと聞かされ「おめでとう!」と言うと「名前はお義母さんが付けて下さい」と言われたわ。「私達が付けるものではないから息子と2人で
891 :名無しさん@おーぷん 2018/08/19(日) 20:43:40 ID:???
息子の嫁がちょっとおかしいというか、ハメられたのかもしれないわ
最近嫁が妊娠したと聞かされたの
おめでとう!って言ってたら「名前はお義母さんがつけてください」と言われたわ
いやいや二人の記念だし、私達がつけるものじゃないから息子と二人で決めてくださいって爺と二人で言ってたら、息子に怒鳴り込まれたの
お腹の子の名前つけさせろ!って私達がしつこいって息子に説明してたみたい
激怒する息子の後ろでシクシク泣く嫁が心底気持ち悪かったわ
当然私達はそんな要求してないっていたんだけど、頭に血が上っている息子は話を聞きやしない
結局嫁のご両親が「そんなことする人たちに思えない」って信じてくださって、嫁の嘘って判明したの
どっと疲れるわ、20年以上育ててきた息子にひどい暴.言はかれるわで悲しくなったわ
一方的に責められていうときに息子が「もう葬式にも出ない!」って言ってたけど、本当にそれでいい気分よ
最近嫁が妊娠したと聞かされたの
おめでとう!って言ってたら「名前はお義母さんがつけてください」と言われたわ
いやいや二人の記念だし、私達がつけるものじゃないから息子と二人で決めてくださいって爺と二人で言ってたら、息子に怒鳴り込まれたの
お腹の子の名前つけさせろ!って私達がしつこいって息子に説明してたみたい
激怒する息子の後ろでシクシク泣く嫁が心底気持ち悪かったわ
当然私達はそんな要求してないっていたんだけど、頭に血が上っている息子は話を聞きやしない
結局嫁のご両親が「そんなことする人たちに思えない」って信じてくださって、嫁の嘘って判明したの
どっと疲れるわ、20年以上育ててきた息子にひどい暴.言はかれるわで悲しくなったわ
一方的に責められていうときに息子が「もう葬式にも出ない!」って言ってたけど、本当にそれでいい気分よ
デキ婚を狙っては失敗するたびに種違いの子供を産んだ母親。姉と映画に行った帰り、玄関開けたら、私の担任かつ姉の交際相手の男性に跨って腰を振っていた→発狂した姉が母親に…
737 :名無しさん@おーぷん 2017/01/24(火) 04:41:48 ID:2UB
修羅場っていうか、母と姉が取り合った男が私の担任だった。
昔のことなんだけど諸事情あって悩んでいるので投下しに来た。
長文でグダグダ、なおかつ文才ナイナイだが、お付き合いいただけたら幸い。
気が向いたら助言などいただけると助かります。
母親はデキ婚を狙って失敗するたびに種違いの子供を産んだ人物。
私たちは結婚歴のない母が産んだ種違いの三姉妹。私は次女。
母はとにかく恋多き女性で、結婚願望が強いくせに男を見る眼がまったくなく、連れてくる男はヒモ男や妻帯者ばかりだった。
狭いワンルームのアパートで暮らしていたから、玄関を開けたら見知らぬ男性と母がアンアンしている光景に出くわした回数は覚えてもいない。
そんな母を見て育ったせいか、私の価値観は小学校の半ばには冷めていた。
私とは反対にヒステリックになっていったのが姉。
罵り合う母と姉を見るたびに「またやってるよ」と呆れ、極力関わらないようにしていた。
今思うと感情的になっていた姉のほうがよほど人間味があったと思う。
このころはまだ妹は生まれていなかった。
成長するにつれて姉は反発していた母に内面が似てきて、中学に入るころには援爻に手を染めるようになっていた。
母と姉が頻繁に起こす恋愛トラブルをいかに実害を受けずに躱すかが当時の私の悩みといえば悩みだった。
何せ二人ともご近所中からヤ刂マンと後ろ指をさされていたから。
姉妹仲はそれほど悪くはなかった。
毎日の家事を姉妹で分担してやっていたし、ヒステリーと恋愛体質だってことを除けばいい姉だったと思う。
典型的喪女になりつつあった私が心配だったのか、姉はよく私に服を買ってくれた。学校でも孤立しているのではと心配し、あれこれ悩みがあるのなら聞くよ?と言ってくれもした。
ただ、当時の私は姉が買ってくれた服に袖を通すことはなかった。
姉が何をして洋服代を手に入れたのかわかっていたから。
今にして思えばトラブル回避ばかり考えていないで姉を諫めればよかったと思う。
前振りが長くなってごめん。
昔のことなんだけど諸事情あって悩んでいるので投下しに来た。
長文でグダグダ、なおかつ文才ナイナイだが、お付き合いいただけたら幸い。
気が向いたら助言などいただけると助かります。
母親はデキ婚を狙って失敗するたびに種違いの子供を産んだ人物。
私たちは結婚歴のない母が産んだ種違いの三姉妹。私は次女。
母はとにかく恋多き女性で、結婚願望が強いくせに男を見る眼がまったくなく、連れてくる男はヒモ男や妻帯者ばかりだった。
狭いワンルームのアパートで暮らしていたから、玄関を開けたら見知らぬ男性と母がアンアンしている光景に出くわした回数は覚えてもいない。
そんな母を見て育ったせいか、私の価値観は小学校の半ばには冷めていた。
私とは反対にヒステリックになっていったのが姉。
罵り合う母と姉を見るたびに「またやってるよ」と呆れ、極力関わらないようにしていた。
今思うと感情的になっていた姉のほうがよほど人間味があったと思う。
このころはまだ妹は生まれていなかった。
成長するにつれて姉は反発していた母に内面が似てきて、中学に入るころには援爻に手を染めるようになっていた。
母と姉が頻繁に起こす恋愛トラブルをいかに実害を受けずに躱すかが当時の私の悩みといえば悩みだった。
何せ二人ともご近所中からヤ刂マンと後ろ指をさされていたから。
姉妹仲はそれほど悪くはなかった。
毎日の家事を姉妹で分担してやっていたし、ヒステリーと恋愛体質だってことを除けばいい姉だったと思う。
典型的喪女になりつつあった私が心配だったのか、姉はよく私に服を買ってくれた。学校でも孤立しているのではと心配し、あれこれ悩みがあるのなら聞くよ?と言ってくれもした。
ただ、当時の私は姉が買ってくれた服に袖を通すことはなかった。
姉が何をして洋服代を手に入れたのかわかっていたから。
今にして思えばトラブル回避ばかり考えていないで姉を諫めればよかったと思う。
前振りが長くなってごめん。
我家は共働きだが土曜日に2人共仕事になったため息子が1人で留守番。勤務が終わりご褒美にケーキを買って帰宅すると息子が泣きながら謝るので理由を聞くと、泥ママが泥子を連れて
夫の親族と金銭絡みのゴタゴタでダメ夫ぶりが露呈し離婚した。離婚の半年後に元夫がお中元を持って訪ねて来て「ここに住んでも良いよ」と提案され即却下した。すると…
妊婦の私に、夫姉「子供の障.害考えたら高齢出産しない。自分さえよければいいんだ?」私「30の私でダメなら40の義姉さん、不妊治療成功して子供出来たらヤバいですよね」→結果
DQNカップルの車からぶちまけられた灰皿の中身が、叔母の顔面を直撃!叔母「ナンバー!」→仲間の1人がナンバーを控え、後日警察に連れられたDQN2人が叔母に謝罪にきた→結果
956 :おさかなくわえた名無しさん 2012/02/04(土) 06:09:54 ID:IS8I3uiV
読んでてふと思い出した、10年近く前に亡くなった叔母の武勇伝。
朝、通勤用チャリンコの後ろに孫乗せて、にっこにこしながら保育園に預けた後、
仕事仲間3人と(叔母含めてみんな80歳以上)仲良く仕事場へ通勤中の話。
DQNカップルが乗った車(多分セルシオとかBIP車)がすれ違いざま、
灰皿の中身をぶちまけた。
自転車押してたので、少しだけ他と離れていた叔母の顔面直撃。
叔母は灰が入った目を押さえながらしゃがんで、「ナンバー!車のナンバー!」と叫んだ。
その叫びを聞いた仲間の一人が、丁度持っていた紙袋に車のナンバーを正確に控えていたんだとか。
その後、近くの眼科医に仕事仲間に連れられて処置を受け、失明等異常無くその日は帰宅。
夜に、パトカーに乗せられて、DQN二人が謝罪に叔母の家にやってきた。
叔母は開口一番
「あほんだら!悪い事したと思ったら逃げやんと先に謝らんかい!」
「先に”ごめんなさい”やろ!逃げてどーするんや!」
等と二人を叱ったそうな。
叱った後、穏やかな表情で
「もうこんなアホな真似、したらあかんで?」
と。
その場にいた娘曰く「まるでうちら(自分達)に怒る様な怒り方だった」とか。
DQN二人は涙乍らに謝罪して、叔母も「謝罪してくれたからもう良い」と言って、
二人は厳重注意だけで済みました。
この話、叔母の通夜の日に聞いて、感動した。
朝、通勤用チャリンコの後ろに孫乗せて、にっこにこしながら保育園に預けた後、
仕事仲間3人と(叔母含めてみんな80歳以上)仲良く仕事場へ通勤中の話。
DQNカップルが乗った車(多分セルシオとかBIP車)がすれ違いざま、
灰皿の中身をぶちまけた。
自転車押してたので、少しだけ他と離れていた叔母の顔面直撃。
叔母は灰が入った目を押さえながらしゃがんで、「ナンバー!車のナンバー!」と叫んだ。
その叫びを聞いた仲間の一人が、丁度持っていた紙袋に車のナンバーを正確に控えていたんだとか。
その後、近くの眼科医に仕事仲間に連れられて処置を受け、失明等異常無くその日は帰宅。
夜に、パトカーに乗せられて、DQN二人が謝罪に叔母の家にやってきた。
叔母は開口一番
「あほんだら!悪い事したと思ったら逃げやんと先に謝らんかい!」
「先に”ごめんなさい”やろ!逃げてどーするんや!」
等と二人を叱ったそうな。
叱った後、穏やかな表情で
「もうこんなアホな真似、したらあかんで?」
と。
その場にいた娘曰く「まるでうちら(自分達)に怒る様な怒り方だった」とか。
DQN二人は涙乍らに謝罪して、叔母も「謝罪してくれたからもう良い」と言って、
二人は厳重注意だけで済みました。
この話、叔母の通夜の日に聞いて、感動した。
持ち回りの町内会役員になった。他の役員も町内の人も常識人だが自称古参住民の副会長Sがとにかく厚かましい。公民館が塞がっており私の家で打ち合わせをした時も
651 :おさかなくわえた名無しさん 2012/01/27(金) 17:41:52 ID:Prq3qkAa
お茶うけ程度に。
一昨年家を購入して、去年から持ち回りで町内会の役員になった。
他の役員さんも町内の人もみんな常識人だけど自称古参住民(実際は大差ない)の副会長Sがとにかく厚かましい。
公民館がふさがってて私の家で打ち合わせをしたときもインテリアにはじまり何から何まで物色し、
あれちょうだいこれクレと香ばしい。断るとイヤミのオマケつき。
会長さんや他の役員さんが〆てくれてそのときは終わったけど、
私の夫が単身赴任中だと知ってから図々しさがエスカレート。
なにかと理由をつけて家にあがろうとする。もちろん全部お断りで通してきたが、
あまりにしつこいので会長さんに協力してもらって対策を実行。
うちの町内会では新年会で有志が手品とかのちょっとした余興をするんだけど、私夫の一発芸をトリにセッティング。
この時点でS夫婦は面白くないらしくイヤミを言いまくるが全員笑顔でスルー。
他の余興が終わり最後の演目になって会長さんと夫が入場し、
瓦を十枚設置してから「せいやぁ」!の掛け声とともに夫が真っ二つに粉砕。
子ども達も町内の人も全員拍手喝采のところで
「ありがとうございます!でもこれくらいは少し鍛えればできますよ!そうだ、S夫さん、昔かなり鍛えていたそうですしぜひどうぞ!」
と筋肉馬廘丸出しの無駄に爽やかな笑顔でS夫を誘う。普段からS夫も「俺も昔はヤンチャでさ~」系でウザかったんだ。
S夫、なんとか逃げようとしたけど町内の人に強引に催促されて渋々壇上に上がり、
瓦を三枚に減らして拳を入れたけど一枚も割れずw「ぺしゃっ」ってショボい音が響いてS夫悶絶w
「あれ~おっかしいな、三枚くらい女忄生でも割れるはずなんだけどな~」
って白々しいセリフとともに私が代わりに壇上に上がることになってあっさり三枚粉砕w会場内大盛り上がり。
その日以来S夫婦は私を見てもコソコソと避けるようになって快適ですw
一昨年家を購入して、去年から持ち回りで町内会の役員になった。
他の役員さんも町内の人もみんな常識人だけど自称古参住民(実際は大差ない)の副会長Sがとにかく厚かましい。
公民館がふさがってて私の家で打ち合わせをしたときもインテリアにはじまり何から何まで物色し、
あれちょうだいこれクレと香ばしい。断るとイヤミのオマケつき。
会長さんや他の役員さんが〆てくれてそのときは終わったけど、
私の夫が単身赴任中だと知ってから図々しさがエスカレート。
なにかと理由をつけて家にあがろうとする。もちろん全部お断りで通してきたが、
あまりにしつこいので会長さんに協力してもらって対策を実行。
うちの町内会では新年会で有志が手品とかのちょっとした余興をするんだけど、私夫の一発芸をトリにセッティング。
この時点でS夫婦は面白くないらしくイヤミを言いまくるが全員笑顔でスルー。
他の余興が終わり最後の演目になって会長さんと夫が入場し、
瓦を十枚設置してから「せいやぁ」!の掛け声とともに夫が真っ二つに粉砕。
子ども達も町内の人も全員拍手喝采のところで
「ありがとうございます!でもこれくらいは少し鍛えればできますよ!そうだ、S夫さん、昔かなり鍛えていたそうですしぜひどうぞ!」
と筋肉馬廘丸出しの無駄に爽やかな笑顔でS夫を誘う。普段からS夫も「俺も昔はヤンチャでさ~」系でウザかったんだ。
S夫、なんとか逃げようとしたけど町内の人に強引に催促されて渋々壇上に上がり、
瓦を三枚に減らして拳を入れたけど一枚も割れずw「ぺしゃっ」ってショボい音が響いてS夫悶絶w
「あれ~おっかしいな、三枚くらい女忄生でも割れるはずなんだけどな~」
って白々しいセリフとともに私が代わりに壇上に上がることになってあっさり三枚粉砕w会場内大盛り上がり。
その日以来S夫婦は私を見てもコソコソと避けるようになって快適ですw